師岡正雄さん<6>「岡野、蹴れ、決めてくれ~」と絶叫

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 Jリーグの開幕当時、ニッポン放送はラジオの独占放送権を持っていた。日本代表の試合も中継した。

「ドーハの悲劇」(1993年10月28日)で本大会出場を逃したアメリカワールドカップ・アジア地区最終予選も全試合放送している。実況は、すべて師岡さんだった。

「最後の試合で日本代表がワールドカップ出場を決めたら、そのままドーハと中継して『おめでとう日本』という後番組をやる予定でした。三浦知良選手の奥さんの設楽りさ子さんや川淵三郎チェアマン(当時)にも出てもらうようお願いをしていたんです。それがロスタイム、今で言うアディショナルタイムで同点に追いつかれて……。みんな呆然でしたよ。いつものように立ってしゃべっていた僕も、『入ったー、入ってしまったー』って言った後、崩れるように床に座り込んでしまいました。ただ、その時も放送は続いています。選手がピッチで立ち上がれなくなっている姿も描写しなければならない。『まだ時間がある、日本』とか、必死にしゃべり続けましたね」

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