師岡正雄さん<2>友だちゼロの福岡でアナウンサー修業を
就職採用試験の解禁日は、受けに行くところがなかった。キー局は、その前にどんどん決まっていた。声質の良さに気づかせてくれたバイト先の文化放送は、その年、アナウンサーの採用がなかった。残された手段は、手当たり次第にチャレンジすること。新卒に門戸を開いている放送局を探し、次から次へと受けていった。
「アナウンス学校の講師をされていた大ベテランの先生は、『アナウンサーの採用試験に受かるなんて宝くじに当たるようなものだ』とおっしゃっていましたね。それぐらい難しいのだから、もしも受かったらそこに決めなさいと。僕の場合、それが九州朝日放送(KBC)でした。2次試験ぐらいまでは東京支社で受けて、何人かに絞られたあとで本社に行き、そこから音声テストも受けて、最後は社長面接で合格となりました」
生まれも育ちも東京で、京都より西には行ったことがなかった。もちろん福岡は、縁もゆかりもない土地。友だちも一人もいなかった。