小野員裕さん<1>長髪ヒゲ面で面接に臨んだ出版社に採用
今回登場するのは、横濱カレーミュージアム初代名誉館長にして、ラーメンや居酒屋などの大衆料理研究家、出張料理人などさまざまな顔を持つ元祖カレー研究家。サラリーマン時代は、出版社で人文系の編集者を務めていた。
「生まれは、北海道三笠市の幌内(アイヌ語で大きな川の意)。母方の伯父が炭鉱を経営していて、その縁で父は炭鉱夫として働き、6歳上の兄も幌内で生まれました。ただ、昭和30年代はすでに山の景気も悪くなっており、2歳で練馬に引っ越してきた。ですから、当時の記憶はほとんど残っていません。父は召集で、大阪で終戦を迎えましたが、原爆が落とされる直前まで広島にいたそうです」
その後、「荒城の月」(滝廉太郎作曲)で知られる詩人の土井晩翠の書生をやっていたが、結婚を機に北海道に移り住んだという。
「1961年に東京に引っ越してからは、親戚が経営する電電公社の子会社に勤め、私が小学生の頃には弱電の工場を始めました。クラリオンのステレオ基板を作る社員10人ほどの町工場で、その後はカラオケ用の8トラックなども作っていました」