萩原賢一さん<2>胃がんは乗り越えたが今度は妻が倒れた
60歳で萩原さんは定年を迎えた。
「定年になると、夫婦で国内旅行に出かけるようになりました。もともと2人とも旅行が好きで、結婚当初はよく旅行に出かけていました。ただ、義母から『旅行ばかり行ってると、家も買えないわよ』と諭され、年に1度、家族旅行に出かける程度になっていました。定年後、旅行熱が再燃したのです」
慰安の日々を1年間続け、2人の子どものうち、下の娘の出産で地元の宮崎病院を訪ねると、15歳のときに就職を世話してくれた宮崎院長から「そうか、もう定年か。だったら、うちで運営している介護老人保健施設『みどうの杜』を手伝ってくれないか」と誘われた。送迎の運転手兼建物管理の雑用係だった。
「週に3日通い、70歳まで働きました。施設には認知症の方、脳出血で倒れた方、私よりも若い方など、さまざまな方が利用していました。息子が見舞いに来ても『あなた、誰?』と、その母親が尋ねている場面などに遭遇するたびに、いたたまれない気持ちになりました」