日暮里・創業99年の老舗佃煮屋 味を守る3代目店主の心意気

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 佃煮は江戸時代に保存食として考案されたといわれる。小魚、貝類、海藻類、豆類を、醤油や砂糖などを使って味付けしたもの。メシのおかずとしても重宝する佃煮を作り続けて100年になろうかという老舗が、JR日暮里駅西口から徒歩2分の中野屋だ。

 それまで隅田川に架かる厩橋近くの佃煮屋で働いていた金子秀雄さんが独立、いまの場所に店を構えたのが大正12(1923)年11月。今年で99年目になる。

 第2次世界大戦で日暮里駅周辺や谷中銀座付近は空襲でやられたものの、間にあった店は被害に遭わなかった。建物は創業時のまま。当時から店内に掲げられた「名代 佃煮」の文字は木製の舟板の上に載り、舟板のところどころ開いている穴はフナムシによるものだという。防空壕としても使っていた店内奥の地下部分はいまも残っている。

「この辺りは寺町ですから、お彼岸やお盆の時期は特に忙しく、小学生のころから店を手伝っていました。いまは観光地化していますけどね」

 周辺の変わりようをこう話すのは秀雄さんの孫で、3代目店主の金子修さん(51)。いまも店で働く修さんの伯母の良子さん(96)も「親御さんの世代はともかく、いまの若い子は佃煮を食べるのかどうか。昔は多かった佃煮屋さんもかなり少なくなりました」と、寂しそうにいう。

 時代とともに環境は変化しても、佃煮の味は守り続けていると金子さんは話す。

「以前と比べて、少し薄味にしてますが、基本的に味を変えるつもりはありません。素材の味を大切にし、濃く煮過ぎないのがウチの店のこだわりです」

 季節ごとに作る佃煮もある。春からきゃらぶき、夏場はごぼうと大豆を使った鉄火味噌、冬場は甘エビ、暮れはおせち用の黒豆と田作りなどだ。

 金子さんは機械メーカーなどで働いた時期もあったとはいえ、サラリーマンをしていたころから店を継ぐことが頭の片隅にあったそうだ。

 佃煮屋を継ごうと決心すると、茨城の霞ケ浦で佃煮屋を営む親戚の家に住み込んで半年ほど修業。霞ケ浦でエビを捕って選別、佃煮にするまで一連の流れを覚えた。

 実家に戻ってからは煮方をしていた叔父のもとで煮物を叩き込まれた。そうやって創業時の味を受け継いで、いまに至る。

 金子さんには現在、中学生の息子がいる。

「いまはゲームに夢中です(笑い)。店の手伝いをするようなこともありませんし、こちらから無理に継がせるつもりもありません。息子が自分からやりたいと思うような店にしていくのが、これからの課題ですね」と金子さん。

 中野屋の味は“4代目”に引き継がれていくかもしれない――。

(崎尾浩史)

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