店内にポツンと座って…94歳女性が営む雀荘(神戸・三宮)

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 突然、旧知の人を思い出す夜がある。人が恋しい夜がある。

 ふと、「母ちゃん」の顔を見たくなった。「今、どうしてるんやろ……」。思い立つと眠れなくなった。

「母ちゃんっ、ビールまだか?」「母ちゃんっ、焼きそばや!」「母ちゃん、たばこくれえ……」

 国鉄が民営化される前の昭和が隆盛の真っただ中だった頃、母ちゃんは一息入れる間もないくらい、狭い卓と卓の間を歩き回っていた。若いアルバイトの女性は「姉ちゃん」と呼ばれていた。

 たばこの煙がムンムン。ギョーザの匂いもムンムン。あの匂いと、あのざわめきこそ「日本の風景」ではなかったか。

ポツンと一人で…

 JR三ノ宮(神戸)の駅が目の前にあるビルの2階の雀荘「長城」。母ちゃんはポツンと一人、座っていた。コロナで大阪が大変、神戸も尼崎も大変と言われた、桜が散った頃の昼下がりだ。

「母ちゃん、生きてたんやな……」。聞こえないだろうと思い小声で言ったつもりが、聞こえていた。

「生きてたから、ここにいるのよ」

 肺が苦しくなってここ3カ月ほど入院していた、らしい。

「この店は私が働いて、働いて買ったの」

 母ちゃんの名前を初めて知った。「西村明子」と初めて聞いた。「もう94歳よ」。年齢も初めて知った。でも現役。店はまだ、営業している。駅の北側。大手コーヒーショップの真裏で。

「営業しているけれどだれも……」来なくなった。

「若い子のマージャン離れ。毎晩のように遊びに来てくれたあの人、この人が、みな、定年になって……。それでも5年くらいはちょこちょこ来てくれたけれど……」

 老いて、倒れて、他界して……。

「この店は私が働いて、働いて買ったの。家賃がいらないから店、開けているのよ」

神戸製鋼の秘書だった

 昭和2年生まれの母ちゃんは神戸製鋼の秘書だった。太平洋戦争が始まると、軍需工場の会社は米軍の空襲をまともに受け、敗戦すると進駐軍に占領された。

 母ちゃんは銀行で働き、20歳のとき、見合いで結婚。娘を生んだが、何があったのか、夫はいつしか、母ちゃんの目の前から消えた。母ちゃんはいまでいうバツイチになった。

 ある日、若い男が現れた。台湾から、食糧難にあえぐ日本に砂糖などを売りにきたのだ。日本語は片言。だが、素直で長身で。母ちゃんの母性本能をくすぐった。母ちゃんより4歳若い。恋仲になって結ばれ、男の子が生まれた。

 雀荘を母ちゃんに教えたのはこの夫だ。雀荘の真下が空いていたので買い求め、中華料理の店にした。この店も夫のアイデア。店名を「万里」。上と下で「万里の長城」。万里の広東料理は何もかもうまい。

 いつしか夫は競馬と株で「遊びほうけて」母ちゃんを泣かせ、数年前に亡くなった。

 母ちゃんは客の来ない雀荘の椅子にポツンと座っている。

(平井隆司)

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