伊集院静氏「ひとりで生きること」と向き合う時は必ず来る
大人の男のあり方を説くエッセー「大人の流儀」(講談社)が売れている。「週刊現代」の連載「それがどうした 男たちの流儀」を書籍化したシリーズは10巻目に入り、累計発行部数は200万部を突破。耳に痛い言葉が並ぶのに、なぜ読まれているのか。著者は「戦後の週刊誌エッセーでこれだけ売れ続けているものはない。なぜ売れるのか。それは書いている人間も分からない。スタッフも分からない」ととぼけるが、まっとうなものに飢えているからだろう。
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最新刊のタイトルは「ひとりをたのしむ」。3密回避の徹底が呼び掛けられるコロナ禍は1年過ぎてもなお、出口が見えない。他者との交わりは極端に減り、日常生活は一変した。
「前回の本では『ひとりで生きる』とはどういうことなのかを考え、文章にしてみた。人によって、あえてひとりで生きることを選ぶ人たちがいるという前提に立っていたんですが、大局で見ると間違いで、それを教えてくれたのはコロナだった。人間にはひとりになる状況がいや応なしにやって来て、ひとりで生きることと向き合わなければならない時が必ず来る。ひとりで生きる心構え、覚悟があれば、その時が訪れても慌てふためいたり、ヒステリックになることはない。そう思うようになりましたね」
■排他的な行動に沈黙してはいけない
足元では新型コロナウイルス第4波が猛威を振るい、感染者数も死者数も急増。感染拡大の元凶扱いされる飲食店イジメ、若者叩きはやまない。広がる疑心暗鬼が排他的な傾向を強め、社会の断絶を深める風潮をどう見ているのか。
「排他的な社会に陥らないためには、排他的な行動に対して沈黙してはいけない。黙っていると助長してしまう。そうすると、終わらないから。結束するしかないんですよ。ただ、自衛団みたいな話になると、またおかしくなる。難しいね」
老若男女、誰もが心の余裕を失っている。
「常識で物が考えられないというか、コロナは人間の冷静さを失わせている。コロナに関して明確な答えを示せた人はまだいないわけだから。果てはコピーライターが考えるような『ウィズコロナ』なんて言い始めた。〈バカ野郎、なんで一緒に歩かなきゃいけないんだ〉〈必ず負かして社会の隅に追いやらなきゃダメだろ〉って言うべきなんだけど、いま論客がいないからね。『ウィズ』とかつけると、何となく恐怖感が薄まる、紛れる。ひきょうなやり方ですよ。『人類がコロナに打ち勝った証しとしての東京五輪・パラリンピックの開催』もそう。五輪は中止だろうに、バカなこと言ったなと思いましたよ。菅首相も言ってるけど、あの顔つきで人類って言っちゃいけない。失言ですよ。菅首相、ずっと笑ってないでしょ。もうどうしていいのか分からなくなってるんでしょう」
泥縄、後手後手から抜け出せない政府の新型コロナ対策に不満は募る一方。スタンドプレーが目立つ東京都の小池知事や大阪府の吉村知事も批判にさらされている。
「そもそも、東京都民と大阪府民は判断能力がないから。でなければね、横山ノックは大阪府知事になりませんって。カイロ大学を首席で卒業したという件にしたって、韓国だったらものすごく怒られますよ。振り返ると、戦後日本の民主主義における行動はことごとく失敗してきた。誰と誰が組めば物事をひっくり返せるのか。安保法制の時には渋谷でデモをやろうと女子高生も集まったことがあったけれど、何の立ち上がりもないから、みんな飽きちゃった。精神の芯が曲がっちゃった。いまミャンマーでは市民が軍事政権に抗議し、香港でも中国支配に抵抗している。今の日本人から見れば、あんな危ないことはダメっていう感覚が優先するでしょう。この国が岐路に立たされているのは確かなんですよ」
(取材・文=坂本千晶/日刊ゲンダイ)
▽伊集院静(いじゅういん・しずか)1950年、山口県防府市生まれ。立教大文学部卒。81年、短編小説「皐月」でデビュー。91年「乳房」で第12回吉川英治文学新人賞、92年「受け月」で第107回直木賞、94年「機関車先生」で第7回柴田錬三郎賞、2002年「ごろごろ」で第36回吉川英治文学賞を受賞。16年、紫綬褒章受章。主な著書に「白秋」「いねむり先生」「なぎさホテル」「日傘を差す女」など。