「あの人が…なんで?」地味ママの“富豪人脈”に呆然。勝ち組を演じていた女の勘違い【武蔵小杉の女・鈴木綾乃 35歳】#2
【武蔵小杉の女・鈴木綾乃 35歳】
【何者でもない、惑う女たちー小説ー】
綾乃は千代田区の高級マンションから武蔵小杉へ2年前に引っ越して来た。以前の土地では、富裕層中心のママ関係に居づらさをおぼえていたが、地に足着いた人の多いこの場所では常に目線を下に置けるのだった。【前回はこちら】
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初めて会って以来、たっくんママは積極的に綾乃のグループに参加するようになった。
LINEグループには惰性で入れてあげたが、彼女は積極的に発言をするので仲間内の盛り上がりに一役買っている。しかも下手に出てくれるのでとても心地よい存在感だということに気づいた。
ただ、笑顔で接しながらも、綾乃はどこか胸が痛かった。
――たっくんママ、私たちに合わせて無理をしているんじゃないかしら。
同じマンションに暮らしているので、所得層は一定以上あるはず。だが、ところどころの所作やたまにタメ語になる乱雑な言葉遣いが気になった。
「たっくんママ」への警戒心と哀れみ
あれから、彼女は綾乃たちと同じ赤ちゃん教室にも通い始めたが、講師の先生に渡すお月謝も、封筒ではなく裸で渡していた。
何度も指摘が出かかったが、かつて千代田区に暮らしていた際、何気ない注意に自分が傷ついた経験があるため、心苦しかった。
聞けば、彼女は地元・川崎出身で、小学校は公立だったとか。武蔵小杉は今でこそ高級マンションが立ち並ぶ街だが、この地域の20年前の私立中学在籍率は3%に満たなかったという。
川崎、特にこの地域は工場が多く立ち並ぶ場所だったというから、彼女の家柄を聞かずとも察することができる。
結局、お受験についての会話はあれ以来出していない。
彼女といるとどこか警戒心を持ってしまう…。だから綾乃は同じグループの中でも視界には入れず、付かず離れずで接していこうと決めている。
だが、そんなとき。改めて、LINEで個別に連絡があり、“例の話”をまた持ち出された。
『綾乃さん、今度、お受験について教えてくれませんか? 学校はもちろん、お教室とか、いろいろ伺いたくて』
実を言うと、綾乃はお受験事情に詳しいというわけではない。
ネットで調べた有名なお教室に間際になって駆け込み、追加課金で講師の言うがままに行動したようなもの。しかも、そのお教室は以前暮らしていた都内にあるため、この地域に住む人の参考にはならないはず。
それもあってやんわり断ることにした。
綾乃の元に本物の「セレブ」から連絡が
『ごめんなさい、実はわたくし、お受験をしたのも熱心なお義母さまの指示で、さほど詳しくないんです。聞きたいことをお話しできるかどうか……』
架空の義母を作り出し、熟考の末にメッセージを送った。すると、『お気を使わせてごめんなさい』と折れの返信がすぐに来た。
拍子抜けするとともに、彼女がお受験に対してやはりそこまで熱はなかったのだと納得した。きっと、グループに入るため、話のきっかけに食いつきそうなワードを出しただけで、引っ込みがつかなくなっていたのだ。
そんな時、スマホの振動と共に懐かしいアイコンがポップアップしてきた。
『おひさしぶり! お元気ですか? 藤堂です。
夏のあいだ、しばらく子供たちと帰国する予定です。
横浜にしばらく滞在するので、その間、お茶でもできたらうれしいです。』
藤堂さん――起業家でもあり、現在はドバイに家族で暮らしている正真正銘のセレブリティだ。
綾乃は千代田区のママ友グループにいた際、お受験の知識がないゆえに恥をかいたことがある。腫物扱いの自分をやんわりと指摘し、たしなめてくれたのが彼女である。
当時は自分を否定されたような気分になったが、藤堂さんに悪気はなく、その指摘があったからこそ現在の悠々自適な暮らしができている。マンションがあんなに高く売れるとは思わなかった。
逃げるように武蔵小杉に引っ越した際も、彼女にだけは手紙でお礼と引越し先を告げた。そのくらい、綾乃は感謝している。
レベルを上げるために必要な相手だ
『ご連絡、とても嬉しいです。ぜひ会いたいです。
仕事をやめ、今は専業主婦なので、時間は合わせられます』
藤堂さんは、The Kahala Hotel & Resortに1カ月近くいるという。ハワイの名門ホテルの名を冠した横浜屈指のラグジュアリーホテル…一度だけ、誕生日のお祝いのアフタヌーンティーに、子どもを実家に預け夫と訪れたことがある。
『よければ、我が家にきませんか? 藤堂さんの家に比べれば狭いですけれど』
綾乃は訪問したい想いもあったが、行ったら行ったで、再び天井を見させられて落ち着かないだろうと思った。誘われる前に自らのテリトリーに誘った。
『綾乃さんのおうち? 行きたいわ』
藤堂さんは喜んで受け入れてくれて、とんとん拍子に日時も決まった。綾乃はさっそく、マンション高層階にあるゲストルームの予約を入れる。
彼女にだけは何でも話せる関係だが、やはりどこか背伸びをしてしまう。
一方で藤堂さんは綾乃にとって、自らの気持ちのレベルを上げるために必要な相手なのだ。一緒にいると自分も同じステージにいるように思えるから。
セレブとの再会。そこに意外な人物が
当日。案の定、藤堂さんはハイヤーでやって来た。
エントランス前で出迎えた綾乃は、左手に下げられたHermèsの紙袋に目を奪われた。藤堂さんはその視線を見逃さないわけなく、すぐに綾乃に差し出した。
「これ、お土産」
中をちらりと覗くと、同じ色の小箱が入っていた。綾乃はその大きさから、キーケースかパスケースと踏んだ。
「ありがとうございます。いいんですか、こんな高価なもの」
「いいのよ。帰国前にお世話になっていた店舗を覗いたら、ちょうど担当さんがいらして、お付き合いで買っただけなの」
藤堂さんは口元に手を当てて微笑んだ。
相変わらず気さくで上品ないでたち。綾乃は嫉妬さえしない。この再会のために彼女はお子さんを、専属のシッターに預けてきたという。綾乃は片道2時間かかる実家の母の元に預けに行った。
「じゃあ、さっそくこちらにどうぞ」
綾乃は、ゲストルームに藤堂さんを案内すべく、背筋を伸ばして高層階のエレベーターホールに彼女を誘った。
「素敵なマンションね!」
「ありがとう。でも藤堂さんのおうちに比べたら恥ずかしくて」
彼女の住むドバイのマンションはもっとすごいのだろうか。いえいえ、と謙遜する藤堂さんの横を、見知った影が横切った。
スーパーの袋を持ち、乳児を抱いた、黒髪の女性…たっくんママだった。
あの人がなぜ「高層階」に行くの?
避けようと顔を背けるも――彼女が向かったその先は、自分たちが今行こうとしている高層階行きのホールだった。
思わず、二度見してしまう。
――え、高層階?
動揺する気持ちがないわけでない。ふいに立ち止まる。
すると、彼女が振り向き「ああ」という顔で綾乃に気づいた。冷静を装って、挨拶をしようとしたその時だった。
藤堂さんは上ずった声でつぶやいた。
「…マコ?」
「ゆりー!?」
たっくんママは目を見開いている。ふたりは自ずと手を取り合い、少女のような柔らかい表情になった。
驚きが波のように次々と押し寄せ、綾乃は、わけがわからなかった。
【#3へつづく:「着飾るのは何もないから」偽セレブがマウントを取る理由。“本物の令嬢”の前で見つけた本当の自分】
(ミドリマチ/作家・ライター)