(3)「家族写真」の中に切なさが透けて見えてしまう
往診先で家族写真を見ることがある。幸せそうに見える家族の写真の中に、ほんの少し悲しさが透けて見えてしまう。かつての若い両親、幼いきょうだい、やさしかったであろう祖父母。そうした人々の笑顔があふれた写真の中にこの風景も時間とともにやがて色あせて消えてしまうのだろう、という切なさが透けて見えるのである。
2016年、私は弟を胃がんでなくした。医師であった弟はあふれる医療情報を整理選択し、最終的に自分が長年勤務した県立病院で手術を受け、勤務先のみなさんの温かい理解を得て、最後まで仕事を全うした。
一方、私は先輩の諸先生から多くの励ましを頂いた。直接の上司であるS先生は、弟に関するすべての画像診断についてご自身のコメントをただ淡々とリポートしてくださった。弟と私はその所見をもとに、薄暗くなりかけた病室で、病状について話し合った。2回目、3回目の手術の執刀医であった消化器外科のS先生は「自分は、人間生きているのも死んでいるのも大きな違いはないと思っております」と私に声を掛けてくれた。そのことを臨終の折、弟に声掛けした。弟はわずかにうなずいたように見えた。