磐越道事故を招いた「蒲原鉄道」の懐事情 なぜバス事業取り消しリスクを冒してまで北越高の要望に応えていたのか
10日、学校側の会見で「営業担当者に裏切られた思いは」と問われたソフトテニス部の寺尾宏治顧問は、「急な遠征や練習試合で融通を利かせてもらった。だからこそ信頼していましたし、わがままを言わせてもらった。感謝している思いはあります」と答えた。
営業担当者は若山容疑者以外の複数の運転手にも声をかけていたことから、道路運送法違反に抵触する可能性のある「白バス行為」を繰り返していたとみられる。なぜ、事業許可の取り消しリスクを冒してまで学校側の要望に応えていたのか。
■貸し切りバス事業は「頼みの綱」だった
蒲原鉄道は鉄道事業者として1922年に創業。51年に乗り合いバス事業に参入し、その後、貸し切りバス事業、国内旅行業と事業を拡大したが鉄道利用者は減り続け99年に全線廃線になった。
法政大卒で東京のベッドメーカーで技術者をしていた茂野一弘社長は創業家の8代目。2007年、蒲原鉄道に入社した。12年に社長就任後、経営の再構築に着手し、バスの保有台数や社員の削減に踏み切り、バス事業と旅行業に特化した。

















