徳川光圀(1)水戸黄門は全国漫遊などしていない 主に出かけたのは江戸と領地の往復
ただし、名君という評価が、少し揺れています。修史事業には莫大な費用がかかり、水戸藩の財政を圧迫しました。領民の負担が重くなった。重税で人びとを苦しめる殿さまを、名君と呼んでよいのか。そういう問いも当然出てきます。
つまり光圀は、ただの名君でも、ただの旅好きの老人でもありません。理想を追い求め、その理想のためには藩財政すら傾けかねない人物でした。ここに、光圀という人の魅力と面倒くささがあります。



















