社会人2年目でワインと出会い 輸入会社設立までの紆余曲折
石田大八朗さん(フィラディス 代表取締役社長)
日本の食文化にすっかり定着したワイン。年末のカウントダウンパーティーだけでなく、おとそがワインなんて人もいただろう。そんな中、おいしいワインを世界中に探し求め、日本に輸入する会社の社長を務める石田さん。18年前に創業するまでの道のりは、山あり谷ありだった。
焼酎文化である鹿児島県鹿児島市の出身。薬剤師として薬局を営む父から「いつか自分で営め」と言われながら育った。
明治大学卒業後は某大手飲料メーカー系列の外食企業に就職。いくつも就職試験を受けたがこれという会社がなく、飲食だけは学生時代にアルバイトをして馴染みがあったというだけの理由だった。しかしここで運命的な“出会い”を果たす。そう、「ワイン」だ。
「私が最初に配属されたのは新宿のレストラン。飲料メーカー系だったので、一通りお酒について勉強することになりました。ビール、ウイスキー、いろいろ本を読んだり工場見学に行ったりしたのですが、ワインだけがやたらと難しい。たまたま手に取ったのがプロ向けのワインテイスティング入門の本だったのですが、こんな難解な世界を理解してみたいと思ったのが最初です」
実はワインの味ではなく、〈難しさ〉に引かれたという。それでも、勉強のために毎日ワインを1本ずつ飲んでいると、そのおいしさに気づいていく。
「安月給でしたので安いワインしか買えませんでしたが、いろいろ飲んでいると自分の好みが分かってきますし、何となくおいしいワインの探し方も分かり始めます。そうすると違いも分かるようになって、あ、なんかワインって面白いなと。どんどんハマっていきましたね」
入社して2年目には、ワインの道で生きていきたいと思ったという。その時の店はワインを扱っていなかったので、広尾の一流フランス料理店「レストランひらまつ」に転職する。
「当時は24歳くらい。正社員として雇ってくれ、給料も少し上がりましたが、労働時間は増えましたね。1日15時間で休みは週に1日だけ。今ならブラックです(笑い)」
21日間休みなしで皿洗いの修行も
新人は皿洗いから始めるのが当時のその店の慣例。周りは高校卒や専門学校卒が多く、年下の先輩にアゴで使われるのは精神的にもつらかったという。さらに入社した12月1日は飲食店の書き入れ時だ。12月5日に一度休みがあっただけで、あとは21日間休みがなかった。
心身ともに疲れ果て、3週間で体重は4キロ減。逃げ出して田舎に帰ることも、脳裏に浮かんだという。
「でもやっぱり負けたくないなと。夢を追い求めるといえば格好がいいですが、前の会社を2年足らずで辞めている僕は、はたから見たら社会不適合者です。これでまた1カ月で辞めて、実家に帰ったら本当に負け犬。とにかく行けるところまで頑張ってみようと思いました」
歯を食いしばり、皿を洗い続ける日々。それでもワインにひたむきな情熱を捧げる若手を、周りのスタッフは温かく見守ってくれた。
「たまに洗い場に、ワインが結構残ったグラスが運ばれてくるんです。そうしたらホールから電話がかかってきて、先輩から“今行ったワインは何々の何年だぞ”って。もちろんお客さんが飲んだ後なので油べっとりなんですが、大丈夫なところを探して味見をして……なんてことをよくやってましたね」
皿洗いは5カ月ほどで卒業。その後、見習ソムリエとして1年修業し、晴れてソムリエとしてデビューする。ワイン人生の第一歩だ。
しかし、1年でレストランひらまつを辞めてしまう。世界有数の産地、米カリフォルニアでワインづくりを学ぶためだ。その後、英ロンドンのワインスクールに入学。そこで人生のターニングポイントを迎える。
ソムリエに見切り
新卒で入った外食企業でワインに目覚めると、より本格的な道を歩むべく、一流フレンチレストランに転職するが、ソムリエになってわずか1年で退職。海外へ留学する。
「お客さまにワインの造り方を説明していても、実際にブドウを自分の手で触ったことがないというのが納得いかなかったんです。一度は産地での実体験を積んでおきたい。あと当時は今のようにインターネットが盛んではなく、ワインに関する情報も限られていました。日本で出版されている本も全て読んでしまい、現状からさらに上を目指すには海外に行くしかないという思いも強くなったんです」
最初に渡ったアメリカのカリフォルニア州ではワイン造りの「地味さ」を学んだという。
「それまでワインは、マジックのようなすごいテクニックで造られているイメージでした。しかし実際は、農作業の延長ともいえる地道な作業の積み重ね。さらにその造り方は基本的に何百年も変わりません。本来、僕は新しもの好き、はやりもの好きな人間なのですが、この頃から伝統的なものもいいなと思うようになりました」
その後、イギリスのロンドンに渡る。世界有数のワイン消費地であり、世界最上級のワインスクールがあったからだ。そこで人生のターニングポイントを迎える。
「たまたまクラスメートとして出会った日本人が、日本でワインのインポーター(輸入業者)をしていました。それまでワインの仕事といえばソムリエぐらいしか頭になかったのですが、その人の話を聞いて“自分に向いてる”と、直感的に思ったんです」
実はその頃すでに、ソムリエの仕事は自分に向いていないと思い始めていた。
「当時、日本一のソムリエと言われていた田崎真也さんと、セミナーで一緒にテイスティングをさせてもらったのです。田崎さんは一瞬香りをかいだだけで、ズラーッと15もの香りを挙げました。それを見て僕は、ここまでのレベルにはなれないと悟りました」
さらにソムリエはレストランに来る一部の客にしかワインをすすめられない。それより広く、日本人全体にワインの魅力を伝えたい。それはロンドンでの生活で実感したことでもある。
「ロンドンのスーパーでは1本1000円くらいで相当いいワインが手に入るんです。ああ、日本もこんなふうになったらいいのに、いやこんなふうにしたいと強く思いました」
31歳で独立。目のつけどころが違う
日本に帰国してすぐ、大手スーパーの本社に「日本にワイン文化を広めたいから雇ってくれ」との手紙を送るが不採用。小規模な輸入会社に勤め、間もなく仕入れを一手に任されるようになる。そこで2年半ほど経験を積んだ2003年、31歳の時に独立。いまの会社を立ち上げる。
当初こだわったのは、しっかり熟成された高品質のビンテージワイン。いわば“飲む骨董品”だ。そうしたワインは基本的に高額で、当たり外れのリスクもあるが、専門的に扱っている業者がなかったこともあり、最初の“武器”に選んだ。
その狙いは当たり、多くの星付きレストランに受け入れられるようになる。その結果、わずか5年で年商10億円を突破。その頃からビンテージワインだけでなく、ワイナリー(ワイン生産者)と直接契約して仕入れるタイプのワインも取り扱い始めた。その数は現在150ワイナリーにも及ぶ。
そして2019年に始めたのが自社ブランド「Because,WINE」シリーズだ。これぞという産地のワインをタンクごと購入し、自社で瓶詰めすることで低価格を実現。つまり〈安くておいしいワイン〉だ。さらに産地や香りなどのワインの要素を自然と学べるラベルにした。そうした高品質でありながら低価格、そして分かりやすさが初心者に受け、ワインバルといったカジュアルな飲食店やコロナ禍の家飲み用に人気急上昇中である。
「ようやくこういう挑戦ができるほど会社を大きくできました。ワインの魅力を広めるため、もっと成長していきたいですね」
九州男児の夢はまだまだ続く。
(取材・文=いからしひろき)
▽いしだ・だいはちろう
1972年、鹿児島県生まれ。明治大学卒業後、大手飲料メーカー系列の外食企業に就職。2年弱でレストランひらまつに転職。ソムリエとして働く。その後、米・英・仏にワイン留学。帰国後ワインの輸入会社に勤め、2003年に独立。熟成ワインを中心に扱う輸入会社「フィラディス」を設立。5年で年商10億円を突破。現在は年商30億円強、正規代理店契約150ワイナリー。19年6月にリリースしたカジュアルブランド「Because,WINE」シリーズがワインバルなどの飲食店を中心に人気上昇中。