斜陽の業界で異例ヒット「子供向けミシン」が誕生するまで

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山﨑一史さん(アックスヤマザキ 代表取締役)

 新型コロナウイルス感染拡大よりも前に、廃れてしまった生活様式は数多くある。例えば着る服を自前で作ったり、破れたら修繕したりする文化だ。既製服が安価に出回り、それとともに服は買って捨てるものになって久しい。その象徴がミシンの衰退だ。

 家庭用ミシンの年別需給動向(一般社団法人日本縫製機械工業会調べ)によると、1999年には100万台以上あった販売台数が、2019年は50万台を切るなど半減。右肩下がりのミシン業界の一角を担う中堅メーカーの3代目に生まれた。

 会社がある場所は大阪市生野区。いわゆる下町で同業の工場も多く、「ミシンの部品を調整している音を聞いて育った」という。

 子供の頃の性格は一言「負けず嫌い」。小学生の時に校内マラソン大会で2位になったが、「1位じゃなくて悔しい」と泣きながらゴールしたという。

 基礎体力はピカイチ。高校ではアメフト部に入り、1年生でベンチプレス100キロを挙げた。そのため〈自分なら日本一の選手にもなれる〉と思い込み天狗に。横柄な態度で他部員とぶつかり退部。それが後々にまで影を落とす。

「元チームメートは大学で日本一になったりしているのに、結局自分は何も成し遂げられていない。その挫折感は社会人になっても消えることはありませんでした」

使わなくなった人たちの声が起死回生のヒントに

 悶々としたまま機械工具の卸売会社で働き始めて3年後。父から「話がある」と呼ばれた。告げられたのは、経営が厳しく、このままではまずいということ。

「やれるか?」

 継げとも継ぐなとも言われなかったが、父の気持ちは分かった。1946年に祖父が創業。海外向けで事業を拡大するも80年代の急激な円高で大打撃。バトンを受け継いだ父が海外生産、国内販売にシフトチェンジし、見事に巻き返した姿を幼い頃に見ていた。

「それまで家はボロボロ。ご飯のおかずも少ししかなかったのに、急に家が新しくなり、すし屋とかにもしょっちゅう行くようになった。子供ながらに会社を経営するってすごいんだと思いましたね」

 自分はまだ何も成し遂げられていないという気持ちもくすぶっていた。ピンチだからこそという逆境魂にも火がついた。そして2005年、父が経営するアックスヤマザキに入社する。

 しばらくはがむしゃらに営業に回り、売り上げをわずかに持ち直したりもした。しかし結局小さなパイの奪い合い。業界自体が右肩下がりの中ではいつか限界がくると感じ始めた。

 それを何とかすべく、ヒントを求めて身近な人たちにミシンの問題点について聞き回っていたある日、「小学校の時に嫌いになった」という声が多いことに気づく。確かに糸をセットするのは面倒。針も危ないし、自動送りに合わせて操作するのも子供には難しい。ならばこれらの不安を解消する子供用ミシンをつくろう。

 コンセプトは〈簡単・安全〉。本来の糸と針を使う仕組みでは限界があるので、〈ごっこ〉をつくると割り切った。後はいかに簡単に布と布を「ひっつける」か。熱で圧着したり、プラスチック針を使ったりいろいろ試したが、どれもミシンと言うにはほど遠い。子供用の包丁もより本物らしい方が売れている。ミシンらしく、それでいて簡単・安全――。

 そこで目をつけたのが〈毛糸〉だった。毛糸で刺繍する技術は昔からある。それを応用すると「ひっついた!」。特許も取り、試作品を子供たちに使わせてみたら、泣きながら取り合った。それを見て「これはいける」と確信。2015年10月に発売した。

 果たして発売2カ月で2万台以上の大ヒット。クリスマス商戦に乗れたのも大きかったが、既存のミシンの隙間をついた発想の勝利といっていい。いまや玩具としては珍しい定番商品となり、累計販売台数も10万台以上になった。

 見事に学生時代の〈何もできなかった自分〉を見返したが、このヒット商品発売の2カ月前、社長の座を継いだ時は人生最大のピンチと言ってよかった。

業績悪化のさなかに事業を継ぐことに

 2015年10月に発売した子供向け毛糸ミシンが2カ月で2万台の大ヒット。しかしその2カ月前の8月に3代目社長に就任したころは、人生最大のピンチに陥っていた。

「2005年に入社し、社長である父を支えて何とかやってきましたが、アベノミクスによる急激な円安で、海外で安くつくって大量に売る手法では全く割に合わなくなってしまった。急激に業績が悪化し、父も65歳になり気力も体力も限界でした」 

 そこで山﨑さんは事業を継ぐことにする。

「このままいくと、とんでもない大赤字になる。このまま会社を清算した方がいいとも思いましたが、逆に吹っ切れましたね。後はもうやるしかないと」

 面白いのは、この時山﨑さんが小中高の同級生にインタビューをして回ったこと。ずばり「山﨑一史」とはなんぞや。多くの旧友が口にしたのは「山﨑は誰もできないと思っていることでも強引にひっくり返す」ということ。

「そうか、自分はそう思われてるんだと。それまで父に遠慮して、やりたいこともやらず二重人格的に過ごしてきた苦しみがスーッと消えましたね」

 しかし、会社経営の責任は重い。最低限当時15人いた社員を食わせていかなければならない。問題点は認識していた。昔ながらの売り上げ至上主義が、利益を大きく圧迫していたのだ。

 そこで売り上げ至上主義から利益優先に大きく舵を切ることに決めた。売り上げを減らしてでも、コスト削減や高付加価値商品で利益を増やそうと。社長就任式では社員を目の前にこう言った。今年一年は赤字が続くと思う。しかし来年は絶対に黒字にしてみせる。それでダメなら自分は社長の器ではない証拠。全責任を負うからと。

「そんなふうに表向きは強気でしたが、内心は不安でした。家族も養っていかなければならなかったし。ふつう社長になると給料上がりますよね。でも自分は逆に減らしましたから(笑い)」

 前記した通り、社長就任から2カ月目に出した子供向けミシンが大ヒット。3年の時間をかけて練り上げた苦心の作とはいえ、「自分は持ってる」と、山﨑さんが言うのもうなずける。

新しい市場をつくり上げた3代目社長

 今春にリリースした子育てママ向けのミシンは、子供用ミシンの販売イベントで「私もやってみたい」という母親たちの言葉から着想を得た。またしても周りの子育てママにインタビューして回ったという。その結果得られたのは、「見た目がダサい」「使い方が分からない」「子供がいると針が危ない」「重くてイチイチ出すのが面倒」という不満の声。これらを解消すべく、見た目は黒を基調としてデザイン家電のように洗練し、使い方は動画サイトを独自につくり、スマホで見られるようにした。

「妻がスマホでレシピサイトを見ながら料理をつくっているのを見て、これや(!)と」

 スマホを置くホルダーも付属。中座する時は針カバーにもなる。そして小型・軽量に。左右幅30センチ弱、女性ファッション誌の表紙に隠れるくらいのサイズは、本棚に置いてもちょうど収まる。重さも一般的なミシンが4キロ以上のところ2・1キロと半分近くに。これなら気軽に出し入れできるし、見た目がおしゃれだから出しっぱなしでも恥ずかしくない。

 売り上げではなく、利益を優先する方針のため卸売りはせず、全て自社サイトでの直販形式を取る。現在1カ月待ちだが、長い時は3カ月待ちだったという。販売台数は非公表ながら、会社の売り上げは前年同期比2・5倍で、営業利益は創業以来最高益。コロナ禍のステイホーム需要に見事に乗ったかたちだ。

「今どきの人はミシンを買わないとよく言うが、じゃあその人が欲しいミシンは何なのか。課題を一つ一つ潰していったら、新しい市場ができたという感じです。ミシン全体の市場が下がっているということは、以前やっていたけれどやらなくなった人が多いということ。それはむしろ潜在的なチャンスかもしれない。もう一度〈一家に一台〉を目指したいですね」

(取材・文=いからしひろき)

▽山﨑一史(やまざき・かずし)1978年、大阪府生まれ。近畿大学卒業後、機械工具卸企業に勤務。2005年、アックスヤマザキ入社。15年8月、代表取締役に就任。その2カ月後に発売した子供向け商品「毛糸ミシンHug」が異例の大ヒット。今年春に発売した「子育てにちょうどいいミシン」も、コロナ禍によるステイホーム需要の波に乗り、創業以来の最高営業利益を達成した。妻と子供2人の4人家族。

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