工藤昭四郎のバンカー魂はきらぼし銀行に受け継がれたか
東京都民銀行は新銀行東京や八千代銀行と合併して、きらぼし銀行となった。都民銀行の創立者の工藤昭四郎は日本興業銀行の調査課長などをやった非常に骨のあるバンカーだった。当時の部下に、のちに暮しの手帖社の社長となる大橋鎭子がいる。
日本の製薬業トップの武田薬品が、高橋晄正という医者にベストセラー薬品を名指しで批判されたことがある。会社に対しても遠慮会釈のない本を出す三一書房の新書でだった。
困った武田は三一書房を訪ねて、社長の竹村一に「何とか穏便に」と頼んだ。
しかし、「お引き取りください」と玄関払いを食う。
それで、三一書房のメインバンクの都民銀行に圧力をかける。
それに対して頭取だった工藤は、キッパリと断った。
三一書房が貸したカネを返さないとかいうならともかく、そこが信じて出している本の内容に干渉するようなことはできない。
それが企業モラルというものであり、逆に、自分たちの気に入る本を出しているなら余計にカネを貸すということをやっていたら、銀行経営はできない。そうした理念を工藤は堅持していた。