東洋水産(下)創業者は「企業は公器なり」を実践…自分の退職金を「高すぎる」と減額
創業者は(故)森和夫である。森をモデルに高杉良は「燃ゆるとき」(実業之日本社、1990年刊、のちに新潮文庫など)を書いた。
森は高杉の取材の要請を「私のことなんか」と2年間も断り続けた。高杉の説得を受け入れたのは「企業は公器なり」ということを読者に理解してもらいたいと思ったからだった、と言っている。
生前の森は財界活動を一切、行わず、すべての勲章を辞退した。だから世間的には無名だ。
その野人ぶりはあまり知られていないので、森和夫について書くことにする。
16(大正5)年4月1日、静岡県賀茂郡田子村(現在の西伊豆町)に生まれる。実家は代々漁業をやっていたが、父の代に冷蔵製氷業に転じた。和夫は水産講習所(現在の東京海洋大学)を卒業。応召。終戦後、捕虜生活を経て帰国した。
水産講習所時代の同級生と、横須賀市内で売りに出ていた冷蔵庫を買い取り横須賀冷蔵庫を共同で経営。東京支店の責任者だった森は横須賀冷蔵庫の負債を買い取る形で円満に独立。53(昭和28)年3月、横須賀水産を東京・築地市場に立ち上げ、冷凍マグロの輸出を始めた。56年、東洋水産に社名を変更した。