専門家は「無私の姿勢で組織を引っ張る人」と評価する「司馬遼太郎」のリーダー像が受け入れられなくなったのはなぜ?
2つ目は、「失敗や負の側面を排除した人物像」への違和感である。司馬遼太郎の筆致は、人物の魅力を引き出す一方で、その影の部分を相対的に薄く描いていると受け取る読者も少なくない。だが現代の読者は、SNSやドキュメンタリーを通じて、成功者の裏側や矛盾にも敏感だ。
グーグルの幹部が一緒に働く予定の人たちに対する自己紹介動画を作成した際、一方には自分の弱さを打ち明けた言葉を入れ、もう一方にはその発言部分を削除したバーションを作成し、2つのグループに分けて見せたという逸話がある。
その結果、自分の弱点を打ち明けるスピーチを聞いた人たちは、語り手が本当の自分を見せていると感じて、好感を持ったそうだ。弱点をさらけだした成功者の方が、受け入れられているのだろう。
3つ目は、「解が一つの時代」から「正解のない時代」への変化である。司馬作品の多くは、明治維新や日露戦争といった“歴史的転換点”を舞台にしている。そこでは、「何をすべきか」という方向性が比較的明確に描かれる。しかし現代はどうか。
働き方、キャリア、価値観……どれを取っても唯一の正解は存在しない。むしろ複数の選択肢の中で揺れ続けることが常態化している。


















