菅政権も日本人妻を見捨てるのか…家族が政府に悲痛な訴え
「家族同士の当たり前なことも日本と朝鮮とではできないんです」
会社員の林真義さん(40歳)は重々しく話した。9月下旬、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮、朝鮮)で暮らす親族の問題を訴えようと熊本県から政府関係者に会うため上京をしていた。
日本と北朝鮮の間に存在する事案では日本人拉致問題が広く知られている。しかし日朝間に横たわる懸案は拉致問題だけではない。日本政府により見捨てられている日本人がいることを決して忘れてはならない。北朝鮮で暮らす日本人妻である。
■約7000人の日本人妻
日本人妻とは、1959年から1984年の間に日朝政府により実施された帰国事業によって北朝鮮へ渡航した日本人女性のことだ。在日コリアン男性と結婚した日本人妻は約7000人いたとされる。多くの日本人妻は日本に帰郷できるという前提で北朝鮮へ渡り生活をしたのだが、日朝には国交がないため日本人妻は日本へ戻ることができなかった。1991年に始まった日朝国交正常化交渉により里帰り事業の実施が決定され、1997年から日本人43人が一時帰国を果たしたが、2002年に開催された日朝首脳会談で日本人拉致問題が発覚してから日本政府の対応が急変。日本人妻の里帰りは突如中止となってしまった。
以後、日朝関係は悪化し、行き詰まり状態となる。しかし2014年にスウェーデンのストックホルムでおこなわれた日朝政府間協議で一定の合意がなされ、「日朝ストックホルム合意」に基づいて北朝鮮は特別調査委員会を設置。北朝鮮の咸鏡南道の咸興(ハムフン)市で暮らす残留日本人と日本人妻がいることが判明した。
その日本人妻の1人が、中本愛子さん(89歳)だった。中本さんの家族の妹の林恵子さん、甥の林真義さんは熊本県在住。長年、北朝鮮取材をしてきたジャーナリストの伊藤孝司さんの仲介で2人は2018年に訪朝、中本さんやその家族と面会した。姉妹は北朝鮮で約58年ぶりの奇跡の再開を果たした。
とはいえ、中本さんは日本へは一時帰国することも叶わない状況だ。日本政府は日本人妻の問題に取り組んでおらず、北朝鮮への独自制裁を続けているため北朝鮮から中本さんは日本に入国ができない。そのため、わずかな時間でも故郷へ戻ることや、身内の墓参りもできない。これは人道的に問題がある。
しかし対北強硬外交を続けていた安倍政権が交代したことを受け、林さんはこの状況を打開しようと9月24日から27日まで上京。外務省や厚生労働省の幹部、国会議員と会談して要望を伝えた。コロナ禍の中とはいえ、林さんが上京を決意したのは家族を想う純粋な気持ちからである。
林さんは涙ぐみながら話す。
「2018年に朝鮮で愛子叔母さんと私の母が再開した時に、愛子叔母さんは母に対して泣きながら悪かったと謝っていました。愛子叔母さんと母は年が20歳も離れています。母が小さい頃に帰国事業で朝鮮に行っているので、愛子叔母さんは恨まれていると思っていたみたいです。でも家族ですから、母は本当に愛子叔母さんに再会できて良かったと伝えていました。私も愛子叔母さんや朝鮮にいる家族たちと出会えて本当に嬉しかったです。けれども、それからも大きな壁が立ち塞がりました。日本から家族が訪朝するのにも中国経由で朝鮮へ入国になるので膨大な時間と高額な旅費がかかります。頻繁に行くのは経済的に厳しいですよ。そして、愛子叔母さんは一度でいいから、熊本にある両親の墓場の前に座って、死に目に会えなくてごめんなさいと謝りたい、花束と線香をあげてお礼を言いたいと嘆いていました。いつか叔母を日本に連れてきてお墓参りをさせてあげたい。そう思って覚悟を決めて今回、行動しました」
独自制裁の解除を
林さんが外務省に渡した要望書の主な部分は、次のようなものだ。
1.国交正常化交渉と切り離した人道的課題の解決のために、北朝鮮政府との交渉の早期再開。
2.日本人妻と残留日本人の里帰りの早期再開。
3.日本政府による独自制裁の、日本人妻・残留日本人里帰りと日本からの親族訪問に関わる条項の解除。
朝鮮国籍者の、日本入国を禁止している条項。
朝鮮の親族への訪問での、輸出・輸入を制限している条項。
朝鮮の親族への訪問での、渡航自粛勧告の対象からの除外。
4.不定期での、外務省・厚労省との面談。
要請を終えた林さんは、切実な表情で思いを語った。
「外務省の担当者からは『家族の気持ちは痛いほど分かります。この件はしかるべき人間に伝え、将来的に実現できるよう取り組んでいきます』という返事をもらいました。官僚は堅苦しいイメージありましたが、丁寧に親身になって話を聞いていたように感じました。どうか、愛子叔母さんの一時帰国を実現してほしいです。政治の問題は政治でやってほしい。家族が簡単に会えない、墓参りもできない現状を、政治はどれだけ真剣に考えているのでしょうか。朝鮮で暮らす日本人妻の存在を少しでも多くの方に知ってもらえるように、これからも努力していきます」
現在、中本愛子さんは89歳と高齢であり一刻の猶予もない。日本政府は北朝鮮で暮らす日本人をこのまま見捨て続けるのか。
(取材・文=山口祐二郎/ジャーナリスト)