「あの3球が集大成」 土井淳が語る54年前の日本シリーズ
25日に開幕したプロ野球日本シリーズ。土井淳さん(81)は、1960年に日本一に輝いた大洋ホエールズの捕手で、秋山登との“黄金バッテリー”は今でも野球ファンの語り草となっている。そんな土井さんが語る54年前の日本シリーズの思い出は――。
■中学2年からの“黄金バッテリー”
秋山―土井のバッテリーが誕生したのは49年、県立岡山商業高校の併設中学2年の秋。2人はその後、県立岡山東高校と名前を変えた母校を51年夏、初の甲子園出場へ導き、明治大学では2年秋、3年春、4年秋と3度のリーグ優勝に貢献した。
土井さんが振り返る。「プロも、どこのチームでもいいから一緒に入って、秋山―土井のバッテリーがどこまで通用するかやってみようじゃないか。大学時代、よくそんな話をしてましたね」
56年、2人揃って大洋に入団したものの、54~59年には大差の最下位(53、54年は大洋松竹ロビンス)というチームだった。
ところが、西鉄ライオンズの黄金時代を築いた“知将”三原脩監督を招聘した60年、2位巨人に4.5ゲーム差をつけてリーグ初優勝。“ミサイル打線”の異名をとる毎日大映オリオンズ(大毎)と日本一の座を争うことに。