著者のコラム一覧
増田俊也小説家

1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。

「ブラック・ジャック」(全25巻)手塚治虫作

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「ブラック・ジャック」(全25巻)手塚治虫作

 手塚治虫をどん底から復活させた伝説的漫画である。

 週刊少年チャンピオンでの連載は10年近く続いたが、スタート時のことを私は鮮明に覚えている。あまりにはっきりとした記憶なので小学校高学年、つまり5年生か6年生時にスタートしたものだと思っていた。しかしよく調べると1973年11月に始まっているのでまだ小学2年生である。それなのに鮮明に覚えているということはよほどインパクトがあったのだ。

 正直いって最初に掲載されたとき、おどろおどろしい恐怖を持った。絵柄も当初は怖さをあおっていた。アングラ医師が活躍するダークな漫画であった。このイメージが象徴するように、手塚治虫はすさんでいた。漫画の神様とあがめられた生涯において、この「ブラック・ジャック」で盛り返すまでの約5年、少年漫画のニューウエーブと劇画の勃興で、人気は完全に失墜していた。

 連載開始時、編集部の意図は「手塚先生に最後の花道を」──あの壁村耐三編集長がそんなことを考えての企画だったと噂される。若いころから原稿が遅い手塚を殴って勇名を馳せた侠気あるバンカラ編集者だ。その壁村でさえ「手塚先生はもう終わった」と思うほど、このころの手塚はボロボロであった。

 だからこの連載もまったく人気が出ず、ずっと最下位かその近くをうろうろ。もちろんカラーとなることもなかった。読み切り短編全242話のうち30話あたりまでまったく人気なし。それが少しずつ人気を上げ、第50話で2位まで浮上して狼煙を上げ始めた。やがてチャンピオンの看板漫画のひとつとなっていく。

 スポーツ選手も含め、どのプロ分野でもそうだが、全盛時代の活躍ぶりよりも、引退間際のいぶし銀の輝きのほうがファンの心を揺さぶることが多い。手塚治虫も、漫画家生活終盤に入ってからの引退をかけてのこの漫画での頑張りが読者たちの心に届いた。泥沼にはまっていた旧弊の描き方から新機軸をさまざま打ち出し、神様の名をかなぐり捨てての試行錯誤のすえ、漫画史に新たな金字塔を打ち立てた。

 海外における海賊版を含めると単行本発行部数は1億部を超えるといわれる世界の漫画史に残る作品となった。チャンピオン編集部は引退の花道を敷いたつもりだったが、こうして手塚治虫は見事によみがえった。

(秋田書店 600円)

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