帰れない理由が次々 両親が仙台で第二の人生を始めた顛末
「いつかは中国に戻るつもりでいました。ただ、通ってくる子供たちのコーチは私たち2人しかいなかった。みな熱心で、可愛い子供たちでした」
こう話す凌さんを迎え入れてから、クラブは小中学生を中心に一般生徒の受け入れも開始していた。生徒が増えて卓球場は賑やかになり、うれしさと責任が同居する生活の中、2003年に長男・智和が誕生する。ますます故郷は遠くなった。=つづく
(仙台在住フリーライター・武田泉)