六川亨
著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

通算200得点の偉業 不世出のストライカー釜本氏の瞬間は…

公開日: 更新日:

 ゴールを量産するセレッソ大阪FW大久保嘉人のパスを受けるまでの動き、スペースの作り方、DFの背後への突き方を見ていると日本サッカー界のレジェンドの名前が浮かび上がってくる。
 
 1981年にJSL(日本サッカーリーグ)で通算200ゴールという金字塔を打ち立てた不世出のストライカー・釜本邦茂氏(ヤンマー/現C大阪)である。

 記念すべきゴールは11月1日、神戸中央球技場(現御崎公園球技場/ノエビアスタジアム神戸。当時は日本で最も美しい芝生のスタジアムと言われ、あのペレも大絶賛した)で行われた本田技研戦だった。

 左サイドを突破したMF楚輪博氏(C大阪や鳥栖の監督を歴任)のマイナスのグラウンダーを1トラップした後、左足でゴール右スミに流し込んだ。

 ちょっと当たり損ね気味のシュートだったが、飛んだコースが良かった。この日は楚輪―釜本コンビで2得点を奪い、通算200ゴールと201ゴールを達成した。

 当時のサッカー界は「暗黒の時代」と言われ、JSLの試合会場は、それこそ閑古鳥が鳴いていた。テレビの中継などもちろんないし、新聞でも結果が載るだけという有り様だった。しかし、釜本氏の200ゴールのカウントダウンが始まった195ゴールあたりから、にわかに取材する記者が増えた。それだけ偉大な記録への挑戦だったからだ。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1
    大谷騒動は「ウソつき水原一平におんぶに抱っこ」の自業自得…単なる元通訳の不祥事では済まされない

    大谷騒動は「ウソつき水原一平におんぶに抱っこ」の自業自得…単なる元通訳の不祥事では済まされない

  2. 2
    狙われた大谷の金銭感覚…「カネは両親が管理」「溜まっていく一方」だった無頓着ぶり

    狙われた大谷の金銭感覚…「カネは両親が管理」「溜まっていく一方」だった無頓着ぶり

  3. 3
    米国での評価は急転直下…「ユニコーン」から一夜にして「ピート・ローズ」になった背景

    米国での評価は急転直下…「ユニコーン」から一夜にして「ピート・ローズ」になった背景

  4. 4
    中学校勤務の女性支援員がオキニ生徒と“不適切な車内プレー”…自ら学校長に申告の仰天ア然

    中学校勤務の女性支援員がオキニ生徒と“不適切な車内プレー”…自ら学校長に申告の仰天ア然

  5. 5
    初場所は照ノ富士、3月場所は尊富士 勢い増す伊勢ケ浜部屋勢を支える「地盤」と「稽古」

    初場所は照ノ富士、3月場所は尊富士 勢い増す伊勢ケ浜部屋勢を支える「地盤」と「稽古」

  1. 6
    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  2. 7
    水原一平元通訳は稀代の「人たらし」だが…恩知らずで非情な一面も

    水原一平元通訳は稀代の「人たらし」だが…恩知らずで非情な一面も

  3. 8
    「チーム大谷」は機能不全だった…米メディア指摘「仰天すべき無能さ」がド正論すぎるワケ

    「チーム大谷」は機能不全だった…米メディア指摘「仰天すべき無能さ」がド正論すぎるワケ

  4. 9
    「ただの通訳」水原一平氏がたった3年で約7億円も借金してまでバクチできたワケ

    「ただの通訳」水原一平氏がたった3年で約7億円も借金してまでバクチできたワケ

  5. 10
    大谷翔平は“女子アナ妻”にしておけば…イチローや松坂大輔の“理にかなった結婚”

    大谷翔平は“女子アナ妻”にしておけば…イチローや松坂大輔の“理にかなった結婚”