東京五輪に最年少20歳で出場するも「世界から見たら三流のサッカー選手」と打ちのめされた
■順位決定戦で1得点
続くガーナ戦、準々決勝のチェコスロバキア戦も不発に終わった。大阪・長居競技場で「準々決勝敗退4チームを関西に集めて順位決定戦を実施して西日本のサッカーファンに見てもらう」ために開催されたトーナメント大会・ユーゴスラビア戦で唯一のゴールを決めた。とはいえ、試合自体は1-6という一方的なスコアとなった。
この試合で2ゴールを決めたのが、後に日本代表の監督に就任するオシムさん(当時23歳。22年に80歳で死去)だった。
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東京五輪が閉幕し、早大に戻ってチームメートと食事をしながら「オレってダメだなぁ~」と愚痴ると「4年後のメキシコ五輪は大丈夫だ。頑張れ」と励まされた。メキシコ五輪に向けて研鑽努力の日々が始まった。(つづく)
(取材・構成=絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽釜本邦茂(かまもと・くにしげ) 1944年4月15日生まれ。京都市出身。京都・山城高から早稲田大。ヤンマーでは監督兼選手も務めた。日本リーグ通算202得点と通算79アシストは歴代1位。国際Aマッチ76試合75得点は男子歴代1位。64年東京五輪出場。68年メキシコ五輪で銅メダル。アジア人初の得点王。第1回日本サッカー殿堂掲額。2014年に旭日中綬章受章。大学、代表の先輩から親しみを込めて「ガマッチョ」という愛称で呼ばれている。