長嶋茂雄さんの「おカネの話」で思い出すバクチの一幕…巨人のスーパースターはやっぱり違った
「ウーム……元気だったか」
と言いながら長嶋さんは、僕の顔を見ながら誰だったか必死に思い出そうとしているようだった。
僕が「古賀ですよ」と言うと、長嶋監督はさも初めから分かっていたと言わんばかりにこう言ったのである。
「そうそう、そうだよな、古賀なんだよな」
長嶋監督と別れてロッカールームに戻るとき、王監督は、
「ミスター、名前を思い出せなかったみたいだな」
とクスッと笑ったものだった。
その試合、二回にダイエーが5点を先行したが、松井秀の本塁打などで追い上げられ、何とか2点差で逃げ切った。僕のヘッドコーチとしての最初の試合であり、長嶋監督の昔と少しも変わらないおおらかさを見たこともあり、今でも強く印象に残っている。
▽こが・ひでひこ 1939年、熊本県生まれ。熊本工、近大を経て62年に巨人入団。米マイナーやベネズエラなど海外でもプレーし、引退後は大洋、ダイエー、南海、ロッテなどで指導。90年には米マイナーで日本人初の監督に就任。04年からロッテ二軍監督を務め、09年オフに退団。その後も米国を拠点に野球指導に携わる。
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当連載【プレイバック「私が見た長嶋茂雄」】は随時公開。次回は、長嶋さんが立大時代の一茂氏の「学生らしからぬ行為」にブチ切れた珍エピソードについて。