長嶋茂雄は「プロなんてちょろい。全然大したことありません」と言ってのけた
2002年掲載 故・堀本律雄氏による「巨人軍への遺言」(第4回)を再公開
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は、身近に接した誰もにそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけてもいる。日刊ゲンダイの連載で多くの球界OBが語ってきたその実像を再構成して緊急公開します。
今回は巨人やオリオンズで投手としてプレー、引退後は複数球団でコーチを歴任した故・堀本律雄氏による「巨人軍への遺言」の第4回(2002年掲載)を再公開(本文中の年齢・肩書きなどは当時のまま)。
◇ ◇ ◇
昭和35年、最初の宮崎キャンプで同室となったのは長嶋茂雄だ。立教大の1年後輩だが、こちらは日通浦和を経由してのプロ入りだから、巨人では2年先輩になる。その長嶋が、宮崎で再会するや否やこう言ったのだ。
「ホリさん、プロなんてちょろいもんです。全然大したことありません」
長嶋の言う通りだなと実感するまで、それほど時間はかからなかった。立教大で「鬼の砂押」と呼ばれた砂押邦信監督のシゴキに比べれば、巨人のキャンプなど物の数ではなかった。長嶋など、この程度の練習では体がなまってしまうからと、夜になると1人で黙々と振り込んでいたものだ。
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