KK擁するPL学園破って初載冠、岩倉(東東京)山口重幸さんが語る勝敗分けた「清原のバント」
東京駅の特別通路
最強軍団を倒しての全国制覇。東京を中心に「岩倉フィーバー」が巻き起こった。最大のヒーローだった山口氏を取り巻く環境も、優勝を機に大きく変わった。
「決勝の翌日、大阪城に観光に行った時も大変だったんですけど、新幹線で東京駅に着いてからがもう凄くて。駅に6万人が集まったらしくて、ホームから改札を出られない。急きょ、ホーム下にある特別通路を通って外に出て、バスに乗り込みましたからね」
岩倉周辺も黒山の人だかり。予定されていた優勝パレードも中止になった。ナインは学校に何とか入ったものの、今度は外に出ることができない。
「ヘリコプターからパラシュートでラーメンやパンを落としてもらって、空腹をしのいで(笑)。その後、こっそり当時の自宅に帰ったのですが、最寄り駅も祭りかというくらい盛り上がっていて、自宅の裏口に回って。こんなに1日で環境が変わるのか、っていう……」
そんな山口氏は高校1年のころ、2学年上の甲子園のスーパースターに羨望のまなざしを向けていた。早実の荒木大輔だ。
「岩倉のグラウンドにはJR中央線の武蔵境駅からバスに乗って向かう。荒木さんは早実に通う際に中央線を使っていたようで、たまたま同級生と一緒に武蔵境に向かう車内で遭遇したことがあったんです。周りは他の生徒が取り囲んでいて。『おい、荒木だよ』なんて言って(笑)。その後、ヤクルトで一緒によく飲む仲になりましたけど、当時はホント、カッコよかったです」
荒木氏でさえ果たせなかった甲子園での優勝は、山口氏の進路にも影響した。当初、東京六大学への進学を予定していたが、阪神の安藤統男監督に見そめられ、84年ドラフト6位で指名された。その安藤監督は同年限りで退任したものの、「中学の大田リトル時代から高校で甲子園に行きたい、プロ野球選手になりたいと思っていましたからね。大学の選択肢もありましたけど、最後はプロへの思いが勝りました」。