KK擁するPL学園破って初載冠、岩倉(東東京)山口重幸さんが語る勝敗分けた「清原のバント」
ゴルフのレッスンプロと二足のわらじ
阪神入団直後に内野手に。95年に野村克也監督が率いるヤクルトへ移籍し、引退後は打撃投手、スコアラーとして情報分析を担った。2023年にヤクルトを退団するまで、38年間プロの世界に身を置いた山口氏はゴルフの腕前を生かし、レッスンプロとして再出発するタイミングで、母校からコーチの打診を受け、快諾した。
「選手には、投げるにしても、打つにしても、プレーに根拠を持ってやりなさい、という話はしています。野村監督が常に言っていたことでもありますから。練習、ミーティングの段階からしっかりと相手のことを想定して準備をする。母校が甲子園で勝つために、プロでの経験を少しでも還元できればと思っています」
ゴルフのレッスンプロとしての仕事と二足のわらじを履く中、野球部では金曜から日曜に指導。週末は寮に寝泊まりし、硬軟織り交ぜながら積極的にコミュニケーションを図っている。
1997年夏以来の聖地へ──。岩倉が着々と力を蓄えているのは確かだ。
▽山口重幸(やまぐち・しげゆき) 1966年6月24日、東京都生まれ。岩倉3年時の84年春の甲子園でエース兼4番として優勝。同年ドラフト6位で阪神入り。内野手に転向し10年間在籍。95年にヤクルト移籍。引退後は打撃投手、スコアラーなどを務め2023年退団。24年4月から岩倉野球部コーチ。右投げ右打ち。