藤川球児「火の玉ストレート」誕生の裏に2人のキーマンがいた
中尾孝義氏による「革命捕手が見たプロ野球」(第29回=2022年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は阪神・藤川球児現監督について綴られた、中尾孝義氏による「革命捕手が見たプロ野球」(第29回=2022年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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2004年から阪神の二軍でコーチを務めた3年間で印象的だったのは、「火の玉」と称された直球を最大の武器に、日米通算245セーブを挙げた藤川球児である。
私が就任した03年オフ、星野仙一監督に代わり、1985年の日本一メンバーでもある岡田彰布監督が就任した。藤川は98年ドラフト1位入団の期待の右腕だったが、03年までの5年間で主に先発として2勝6敗。直球は145キロ前後で右肩や右肘に不安を抱えており、球団に「構想外」の烙印を押されていた。ヤクルト、広島からトレードの打診があると聞いた。最速156キロの「火の玉ストレート」はまだ誕生していない。


















