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持丸修一専修大松戸 野球部監督

1948年4月17日、茨城県北相馬郡藤代町(現取手市)出身。国学院大4年時から母校・竜ケ崎一高野球部のコーチを務め、社会科教員の傍ら27歳で監督就任(75~96年)。藤代(97~2003年)、常総学院(03~07年)、専大松戸(07年~)の4校を率いて計11回、甲子園に出場している。現役の教え子にロッテ美馬学、横山陸人、ソフトバンク上沢直之、巨人高橋礼、DeNA深沢鳳介らがいる。

我が専大松戸は来春センバツへ…「入念な準備」が結果的に“横浜撃破”に繋がった

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 秋季関東大会で翌春の甲子園切符を掴むには2勝が絶対条件です。トーナメント抽選を終えてから、我々がどのような準備をしてきたのかをお話しします。

 まず着手したのは文星芸大付対策です。コーチ陣と相談しながら相手エースを調査し、似たタイプの左腕投手を擁する神奈川県の強豪校と練習試合をセッティング。結果は惨敗でしたが、それでいいのです。大切なのは「左腕に慣れること」。おかげで貴重な実戦経験になりました。

 文星芸大付戦に勝てば横浜と当たる可能性が高かった。ですから、横浜戦の準備も同時並行で行いました。打撃練習は横浜が誇る全国レベルの投手陣を想定し、マシンを145~150キロに設定。打撃投手には通常のマウンドより前から投げさせ、体感スピードを上げました。

 気を付けたのは、強豪校との対戦で陥りがちな失敗です。速球対策に力を入れ過ぎたあまり、いざ試合で遅球投手に翻弄されてしまうこと。甲子園でもよく目にする光景です。そこで130キロ台の球を打つ練習にも時間を費やしました。


 そうした下準備があったからこそ、勝利を手繰り寄せることができたのでしょう。フタを開けてみると、横浜の先発は最速140キロ左腕。結果的に準備がうまくハマった形になりました。

 この大一番では初戦に2番手として三回から完投させた1年生左腕を中1日で投入。被安打10、10四死球と、何度もピンチを招きながらも最後まで交代しなかったのはなぜか--。次回はそのワケを含めた横浜戦の勝因と、準決勝での山梨学院戦の敗因についてお話しします。

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