開幕スタメン、球宴出場、球団初V、ベストナイン…1967年は飛躍の年となった
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。(毎週木曜掲載)
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1967年4月8日、後楽園球場。東映フライヤーズとの開幕戦、森本は二番・サードで初の開幕スターティングメンバーとして出場。立大同期の山口富士雄も同じく開幕初スタメン。七番・ショートで名を連ねた。西本幸雄監督は、さらに入団二年目の長池徳士を12球団最年少の四番打者に据える。
東映の先発投手は森安敏明。前年度、高卒新人ながら初登板で初完封の離れ業をやってのけ、11勝を挙げた速球派である。
「森安は速かったけど、単調なピッチングだったから、俺にとっては打ちやすい投手だった」
その言葉通り、1-1の同点で迎えた5回表、1死満塁の場面で森安からセンターへ大きな犠牲フライを打ち、勝ち越しの打点を挙げる。試合は3-1で、西本監督就任以後、開幕戦初勝利。幸先のよいスタートとなった。森本、長池、山口、髙井保弘たちは「ヤングブレーブス」と呼ばれ、開幕からの快進撃の担い手となる。6月からは独走状態で勝ち続け、前半戦終了の時点で2位南海ホークスに8ゲーム差をつけた。


















