著者のコラム一覧
元川悦子サッカージャーナリスト

1967年7月14日生まれ。長野県松本市出身。業界紙、夕刊紙を経て94年にフリーランス。著作に「U―22」「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年 (SJ sports)」「「いじらない」育て方~親とコーチが語る遠藤保仁」「僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」など。

小川航基〈前編〉泊りがけの遠征先で「帰れ!」と言ったら本当に帰ったが…(桐光学園監督・鈴木勝大)

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FW小川航基(オランダ1部NECナイメヘン/28)

 上田綺世(フェイエノールト)と並ぶ主軸FWとして期待される小川航基は、代表コーチに電撃抜擢されたレジェンド司令塔・中村俊輔の高校後輩に当たる。大豆戸(まめど)FCという町クラブからブレイクした経歴の持ち主だ。当時から見守り続けている高校サッカー部の恩師に話を聞いた。

  ◇  ◇  ◇

 ──小川選手は大豆戸FCから桐光学園に来た選手ですが、どのような経緯で加入しましたか?

「当時、前任の佐熊先生(裕和=新潟医療福祉大学監督)が離れるタイミングだったこともあり、コーチだった私やGKコーチ兼スカウトが主体となって中学生の小川を見に行きました。サイズ感があってしなやかな選手というのが第一印象。でも、Jクラブのユースに引っかかるような突出した選手ではなかったですね。

 神奈川の場合、横浜F・マリノスなどJクラブが4つあり、首都圏のクラブにも通えるので、目立った子はだいたいそういうところから誘われます。が、小川は小学校時代からスカウト網には引っかからなかった。少年時代は太りやすい体質だったとは聞いていますが、マリノスのユースに呼ばれて練習には行ったらしいですけど、落とされたのかな。本当に無名の選手でしたね」

 ──桐光学園に入ってからは?

「ちょうど私の監督就任と同時のタイミングで入学してきました。中学までの小川はトップ下のテクニカルな10番タイプでしたが、得点への貪欲さやゴール感覚が優れていたので、『お前は9番、ストライカーの選手だ』と本人に伝え、5月には試合に使っていました。

 2013年高円宮杯プレミアリーグ・イーストでは1年生ながら5ゴールを奪うなど、点取り屋として一気に頭角を現した。高校選手権にも1年生エースとして出場しました。

 それでもU-16神奈川国体選抜には残れませんでした。同期にはJクラブの三笘薫選手(ブライトン)や遠藤渓太選手(FC東京)がいたこともあって、高体連の小川が滑り込むには高いハードルがあったように感じます」

 ──その小川選手が一気に全国区になったのは?

「高校2年の時ですね。彼はこの年、ひざのケガで約3か月間、離脱したんですが、空白期間を有効活用して上半身の強化などに積極的に取り組み、パワーアップしたのがすごくよかったですね。成長を続ける小川に熱視線を送ってくれたのが、当時U-18日本代表監督の内山篤さん(静岡産業大学コーチチューター)。2015年1月のロシア遠征に招集して、初めて日の丸を背負う機会を与えてくれました」

 ──当時のメンバーを見ると、板倉滉(アヤックス)、三好康児(ボーフム)、中山雄太(町田)といったそうそうたる陣容ですね。

「そうですね。篤さんは長年、日本サッカー界で指導されてきた方です。小川のゴールへの執着心やアグレッシブさという特徴をいち早く見抜いたのかなと思います。本人も明るい性格で、『点を取って目立ちたい』という野心もあった。そこも気に入ったのかなと感じます。これ以降はコンスタントに呼んでくれて、2020年東京五輪世代のエースFWに育てたいと考えたのかもしれないですね」

敢えて主将に指名した理由

 ──高3の小川選手は「近未来の日本サッカー界を担う大型FW」と注目を集めていました。

「ポテンシャルは大きかったので、僕も彼を育てなければいけないと思い、あえて主将に指名しました。同期にはイサカ・ゼイン(千葉)や安部崇士(宮崎)がいて、彼らの方がリーダーに適した性格ではあったんですけど、チームが苦しい時に引っ張るとか、自分から働きかけをするといった経験をしてほしかった。正直言うと、僕も小川を主将にしたらチームがどうなるか予想がつかなかったんですけど、本人と桐光のために思い切ってリスクを冒した形です」

 ──その効果はいかがでしたか?

「小川は負けん気が強いし、周りが見えていなくて、独りよがりのプレーをすることも多かったので、僕とは何度か衝突しましたね。U-18日本代表のロシア遠征から戻ってきた翌月の練習試合で静岡・御殿場に行った際には帰したこともあります。1泊2日の遠征の初日のことでしたが、自己中心的なプレーがあまりにも目立ったので、『お前、いい加減にしろ。もう横浜に帰れ』と語気を強めたところ、本当に帰りました」

 ──本人はその後、どうしたんですか?

「翌日にはまた御殿場に来て『すみませんでした』と謝りました。自分が未熟だったことを反省した様子が見えたんで、僕もチームに戻して2日目の試合に挑みました。

 それまでの小川は『とにかく俺が点を取るからボールをよこせ』という姿勢が強すぎた。チームメートを信頼したらもっとチャンスが増えることを理解していなかったんでしょうね。次の日は改善が見られましたけど、17歳の小川は、まだまだ子供だったのかなと今になると実感しますね(笑)」

【後編】につづく

▽おがわ・こうき 1997年8月8日生まれ、神奈川・横浜市出身。桐光学園サッカー部の高1と高3で全国高校サッカー選手権に出場。高3時に4得点を挙げて得点ランク2位タイ。Jの磐田、水戸、横浜FCを経て2023年夏にオランダ1部NECナイメヘンに移籍した。各年代別日本代表でプレーして2019年12月に日本代表初招集。代表デビュー戦のE-1選手権・香港戦で3得点。2024年3月、5年ぶりに代表復帰。W杯アジア3次予選で6試合4得点をマークした。身長186cm・体重80kg。

▽すずき・かつひろ 1977年11月26日生まれ、神奈川・横須賀市出身。桐光学園では元日本代表司令塔・中村俊輔の1学年先輩。3年次に主将を務めた。国士舘大在学中の1999年、ユニバーシアード日本代表としてスペイン・マジョルカ大会に出場。2000年にJ福岡入り。鳥栖、鹿児島、熊本でプレーして2006年に現役引退。熊本下部組織、2013年に桐光学園サッカー部監督に就任した。

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