ソフトBモイネロらの“ラテンのノリ”に近隣住民からクレームも…元広報が明かす助っ人左腕の素顔
だからなのか、成長も早かった。
最初は二軍で投げていましたが、みるみる球速が上がり、MAX158キロにまで成長。入団翌月の6月には支配下登録され、この年は中継ぎとして34試合で4勝3敗36奪三振、1セーブ、15ホールド、防御率2.52の好成績でした。
若い外国人投手にはときどきあることですが、体の使い方を理解し、ちゃんとしたフォームで投げれば、スピードは急激に上がる。珍しいことではない。モイネロもおそらく、キューバでは日本のような細かい指導はされていなかったのではないか。粗削りだったがゆえに、伸びしろも大きかったのだと思います。
言葉を覚えるのも早かった。これは一軍にリリーフの森唯斗がいたからでしょう。
森は抑えのサファテから「俺の弟」と言われるほど可愛がられており、面倒を見てもらっていた。そうしたことを今度は日本に来たばかりのモイネロに、と世話を焼いた。
あまり自分から話すことはありませんが、日本語はかなりしゃべれるし、森や嘉弥真新也とグラブやスパイクの隠しっこをしてふざけ合うこともあった。


















