野村監督は事実上の“解任”だった 仮にCS突破で日本一になったとしても未来はなかった
2009年、楽天は球団史上初の2位でクライマックスシリーズ(CS)に進出。個人的にも41歳で39本塁打、107打点(ともにリーグ2位)とチームに貢献できた一年だった。
活躍できたシーズンのオフは心が躍る。昔は契約更改の前から(山本)昌さんと車雑誌を眺めていた。
一年一年が勝負。そう思ってプロの世界で生きてきた。中日時代に国内FA権を取得した01年のオフは3年契約を結んだものの、複数年契約を結んだのはその1度だけだった。山田久志監督と仲たがいして、契約途中でトレードを直訴する始末だったけどね(笑)。
楽天に行ってもずっと単年契約だったが、09年オフは2億5000万円プラス出来高払いの2年契約を結んだ。楽天で初めての複数年。「もう年も年だからな」と冷静に現実を見られた部分もあったかもしれない。
楽天は今や浅村栄斗と5億円の4年契約(推定)を結ぶ球団になったが、俺の時代には考えられない金額だ。本塁打なら浅村より俺の方が打っとるけどなあ(笑)。
楽天の良かったところは、成績を正当に評価してくれたところだ。実績を積み重ねてきたひとりの選手として、フラットに見てくれた。本来、他球団で戦力外通告を受けて移籍した選手は、給料をグッと抑えられるのが常だった。俺もオリックスをクビになって楽天に入った。しかも40歳手前。もし古巣の中日に戻っていたら、年俸2億5000万円の2年契約なんて条件は出してくれなかっただろう。
楽天の場合、グッズの肖像権料とは別に、「人気料」というボーナスがあった。俺の現役時代でいえば、田中将大、岩隈久志、嶋基宏、そして俺も。徹底した成果主義だったといえる。
2年契約1年目の10年は598打席に立ち、年間500打席の目標をクリア。ペナルティー(前回参照)を科されることなく、年俸を維持できた。
09年オフの契約更改はバラ色だった一方で、恩師である野村克也監督がこの年限りで退任。当時もいろいろと報道された通り、ゴタゴタの退団劇だった。
このシーズン、楽天は球団史上初のAクラス2位。選手はもちろん、ファンも野村監督の来季続投を信じて疑わなかった。が、シーズン終盤、野村監督は俺に向かってこうボヤいた。
「今年でクビや。CS行くのにシラケるわあ」
それから数日後の10月11日、球団は野村監督に退任を通達した。Kスタ(現・楽天モバイル最強パーク)でのシーズン最終戦の試合前だった。それまで去就を気にかけていた監督を、球団はのらりくらりとかわし続けていたという。最終戦を前に監督は球団代表の米田(純)さんにこう尋ねた。
「僕の来年はあるんですか?」
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