(3)「森保監督は『指揮官に必要な冷徹さ』を確固たる信念として持っています」
「代表監督への憧れが消えることはない」
私は今、明海大学の監督を務めています。東京V、日本代表でチームメートだった都並敏史さん(64歳=仙台、C大阪、横浜FCで監督を歴任。現JFLブリオベッカ浦安・市川監督)から話をいただいた時、大きなチャレンジと直感しました。
大学生をプロの舞台へ送り出すという仕事には、一種独特のやりがい、面白さがあります。
今の子供たちは、みんな技術的には高いのですが、最後に勝負を分けるのは「メンタル」です。
私は練習の中であえて嫌なこと、つまり「走り」を課すことがあります。勝負の世界で生き残るためには、そうした苦しさを乗り越えた先にしか「強さ」は宿らないと思っています。
練習の切り替えのスピードにもこだわっています。給水タイムにダラダラと2~3分を費やす時間を惜しみ、トレーニングを流れるように進める。 そういう取り組みが、結果的に質の高い「1試合の試合時間.90分」を生み出します。
今年のチームに掲げたテーマは「協力」です。 日本代表主将時代に導入した「勝利のために何でも言い合える関係」を築くために「協力」という言葉を使いました。
かつて36歳でJ1のコンサドーレ札幌の監督に就任しました。運転免許取り立ての新米ドライバーが、いきなり高級車のフェラーリを運転したようなものでした。
「事故」を起こしてしまい、長く指揮官の座にとどまることはできませんでした。
あの失敗は、自分の経験不足と勉強不足を痛感するに十分な経験となりました。しかし、失敗を失敗として終わらせることなく、必ず「次に繋げていく」という信念そのものは揺らいでいません。
J1、J2、J3、JFL、高校(岩手・花巻東高サッカー部テクニカルアドバイザー)に今の明海大とあらゆるカテゴリーの現場に立ち続けてきました。
指導するのにカテゴリーにこだわりはありません。自分を必要としてくれる場所に赴き、己の信念に基づいて全身全霊をかけて仕事をするだけです。地方のチームに行った時には、その地域を活性化させることが日本サッカー全体のプラスになると信じています。
想像を絶するシビアな世界であることは認識していますが──。
時折、日本代表監督がさらされる凄まじいプレッシャーを羨ましく思うことがあります。
あれほどの注目と批判を浴びるのは、それだけ期待されているという証拠です。その重圧を経験できるのは、世界でほんのひと握りの人間しかいません。
かつて日の丸をつけて日本代表としてピッチに立ちたいと願った子供の頃と同じように、あのプレッシャーの渦中に指導者として身を投じてみたいという思いが消えることはありません。
私自身に課された宿題は、まだ終わってはいません。自分にできることを愚直に積み重ねていくだけです。
その先に何があるのか? それを確かめるために私は今日もピッチに立ち続けています。(おわり)
(聞き手=森雅史/日本蹴球合同会社、絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽はしらたに・てつじ 1964年7月15日生まれ、京都市出身。京都商業から国士舘大。87年に日産自動車(現横浜M)入り。J開幕前の92年にヴェルディ川崎(現東京V)に移籍した。88~95年に日本代表として国際Aマッチ72試合に出場。引退後はJ1の札幌、東京V、J2の水戸、J3の鳥取、北九州、JFLの八戸で監督を歴任。2018年3月に花巻東高校サッカー部のテクニカルアドバイザーに就任(~2025年)。25年12月に千葉・明海大サッカー部(千葉県大学サッカーリーグ1部)監督に就任した。


















