「典獄と934人のメロス」坂本敏夫氏

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「私は27年、刑務官として務めたんですが、新人の頃に、関東大震災の折、横浜刑務所は囚人解放を行い、帝都一帯を大混乱に陥れたという話を聞かされたんです。それが昭和46年、横浜刑務所所長から震災のとき囚人たちが救援物資の荷揚げに懸命に当たったという話がある、と相反する話を聞きました。しかし、いずれも記録が残っていない。不思議に感じた私は何か隠された理由があるのではないかと思い、調べ始めたのがきっかけです」

 多くの犠牲者を出した大正12年9月の関東大震災。その日、帝都のみならず、36歳の椎名道蔵が典獄(所長)を務める横浜市根岸町(現在の磯子区)にあった横浜刑務所も大打撃を受けた。

 強固な外壁と構内の7棟の工場は全壊、舎房も全半壊。混乱の中、助けられた囚人たちは看守と協力して重要書類その他を持ち出すも、やがて構内に火の手が上がる。

 命の危険が迫る中、椎名は囚人の24時間解放を決断する。24時間解放とは、天災事変に際し24時間に限って囚人を解放することができるという監獄法だ。

「今日に至るまで大きな解放は、江戸時代の明暦の大火と、関東大震災の横浜刑務所しかありません。命を守るための釈放とはいえ、脱獄だと誤って伝えられ大混乱を引き起こす可能性もある。何より、未帰還者が出ると大問題です。本省にお伺いを立てようにも電話も通じない中、椎名は万一のときは責任を一人で負うことを決意するんですね。刑罰の目的は応報ではなく教育による更生だと考える人で、実際、そのように接してきています。囚人を信頼しての決断だったでしょうが、その心中は察するに余りありました」

 解放を知らされた934人の囚人は、戸惑いながらも三々五々に散っていく。けがをした看守に付き添うため残った者、時間内に戻れないと分かり、家族を身代わりに出した者……。紆余曲折がありながらもそれぞれが椎名の信頼に応え、結果的に全員が帰還した。戻った囚人たちは塀のない刑務所の中で自主的に自治を生み出し、港での危険を伴う救援物資荷役奉仕にも就いている。しかし、それら善行は誰も予想しなかった悲劇によって抹殺されてしまう。

「解放された400人の朝鮮人が不正行為を働いているというデマによる朝鮮人狩りです。実際は朝鮮人の囚人はいなかったのですが、国際問題にまで発展してしまった。その責任を椎名が取るにあたり、当時の司法省平沼大臣と密約が交わされたんです。“囚人解放で関東一円を混乱に陥れた典獄”という汚名と、事実と異なる記録が残ることを甘んじる代わりに、善行に励んだ囚人たちの早期の仮出獄の許可を願う、というものです。すべてを知る平沼大臣は請け負い、真相を記す公式記録はこの世から消えたんです」

 解放処置に関わった心ある刑務官、囚人たちの魂によって書かされたような気がすると、著者。
 30年をかけて行刑の歴史に埋もれた真相と謎に迫った、ノンフィクション小説だ。(講談社 1600円+税)

▽さかもと・としお 1947年生まれ。父の死去により法政大学中退、67年大阪刑務所刑務官に採用される。以後、神戸刑務所、法務省事務官、東京拘置所などで課長職を歴任し、94年退官。著書に「刑務所のすべて」「誰が永山則夫を殺したのか」など多数。現在は、NPO「こうせい舎」を立ち上げ、出所した受刑者が起業するための教育などにも力を注ぐ。



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