「下垣内教授の江戸」青山文平氏

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「下垣内教授の江戸」青山文平著

 江戸中・後期を舞台に、懸命に生きる人々の姿を独自の視点から描き続けてきた著者。本作ではその書き出しから意表を突かれる。語り手が元新聞記者で、時代が昭和初期なのだ。まさか今回は現代小説なのか? と戸惑ってしまうが、かつて取材した人物を回想する形で物語が始まり、江戸時代が近代と地続きであることを強く印象付けてくる。

「誰もが知る、歴史上のヒーローを主人公にしようとは思わないんです。知っていることを書いても自分がつまらないし、作品を狭めてしまう。だから、徹底的に時間をかけて素材となり得る出来事や人物を探します。それらを集めて寝かせておくと、あるときキャラクターが生まれて小説として動き出してくれる。だから、一冊出すまでに時間がかかるんです(笑)」

 いわゆる時代小説ではあまり取り上げられることのない、歴史のはざまにある出来事を織り込むことを好む著者。本作も、多摩近郷の豪農の家に生まれた次男坊の主人公が、のちに日本美術と大きく関わっていくという物語。幕末の農家の変遷とともに、江戸という時代の終焉も描かれていく。

「今回の素材のひとつが、今の東京と埼玉の山あいの村々から蜂起した、1866年の武州世直し一揆です。年貢が米ではなくカネに変わった時代の転換期に起きたこの一揆は、それまでの打ちこわしや百姓一揆とは異なる複雑な側面を持っていました。それと、日本の西南戦争真っただ中に、時代のうねりをものともせずに海外で美術を学んだ人物がいたこともいい素材になり、私自身も幕末の新たな一面を知ることができました」

 時は1867年。若くして北辰一刀流の中目録免許を得、江戸の内神田で剣術のほかにも書や画、茶などを習っていた18歳の下垣内邦雄は、多摩近郷の森戸村で家を継いでいた長兄の昌邦に呼び出される。幕府の兵力不足を補うため、農民による農兵隊が組織されていたこの時代。隊の世話役を務めていた昌邦は、前年の武州世直し一揆に遭遇し、3人を斬っていた。武士ではなく、百姓が百姓を斬るという悲劇を経験した昌邦は、邦雄にこんな言葉をかける。

〈おまえも一度斬ってみたらどうだ〉

「私の時代小説は、しばしば“先の展開が読めない”と言われてしまいます。しかし、いつもの店のいつもの味より、知らなかった世界を知ることができるのが小説の醍醐味であり、それは時代小説でも同様だと思うんです」

 やがてある出来事から、尊王攘夷などの時代のイデオロギーとはまったく無縁の思いで人斬りの旅に出る邦雄。手練れだと評判の高い下野国の徘徊浪人、中里吉郎をターゲットとして探すうちに、絵師の辻村覚三という老人と、その妻子と知り合うことになる。

「幕末における横浜貿易や生糸産業、文化人として修養を積む豪農、当時の西洋と日本の芸術に対する捉え方の違いなど、さまざまな素材が絡み合って結末へと向かっていきます。ぜひ、リアルな素材から生まれた世界観を楽しんでもらえればうれしいですね」

 幕末と人斬り、そして美術がどうつながっていくのか。知られざる時代の風景を堪能して欲しい。 (講談社 2090円)

▽青山文平(あおやま・ぶんぺい) 1948年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2011年「白樫の樹の下で」で松本清張賞を受賞しデビュー。15年「鬼はもとより」で大藪春彦賞、16年「つまをめとらば」で直木賞を受賞。「伊賀の残光」「江戸染まぬ」「本売る日々」「父がしたこと」など著書多数。

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