「『ナガサキ』を生きる 原爆と向き合う人生」高瀬毅著
「『ナガサキ』を生きる 原爆と向き合う人生」高瀬毅著
80年前の8月9日。マリアナ諸島のテニアンを飛び立ったB-29「ボックスカー」は、長崎に世界で2発目の原子爆弾を投下した。なぜ広島の次は長崎だったのか。長崎出身の被爆2世である著者は、日米の膨大な資料と関係者の証言をもとに、可能な限り詳細に、あの日の再現を試みた。
2発目の投下目標都市は長崎ではなく、北九州の小倉だった。ところが、予備タンクの燃料ポンプの故障、写真撮影機との合流ミスなどが発生、予定より遅れて照準点(原爆投下地点)である小倉造兵廠上空に達した。命令通り目視による原爆投下を3度試みるが、視界不良で断念したとされている。
小倉に次ぐ目標都市は新潟だったが、燃料に余裕がない。距離が近いという理由で優先順位の低かった長崎が急浮上する。照準点は市中心部の繁華街。しかし実際に投下されたのは、西北に3.4キロずれた浦上だった。
長崎のあの日を追うなかで、「核の実戦使用実験」という巨大プロジェクトの実相が見えてくる。投下目標には、原爆の威力を誇示するために最も適した都市が選ばれたこと。照準点近くの捕虜収容所にいる自国兵士の命は無視されたこと。この残虐な作戦を担わされた実行役の多くは20代の若い兵士だったこと……。
戦争の非情、国家の冷徹に戦慄する。
2発目が投下されたそのとき、著者の母親は市内の職場にいた。もし正確に照準点に投下されていたら、母親は生きていない。10年後に著者が生まれることはなかった。「小倉と長崎を分けたもの。長崎の中で浦上と市中心部を分けたもの。その偶然の連なりの末端に私の命がある。」という印象的な一文がある。奇跡のように与えられた人生の意味を問いながら、著者は原爆と向き合い、長い時間をかけて本作を書き上げた。
知識として知っている歴史と、いまある命、奪われた命を結びつける想像力が、原爆の惨禍を他人事から自分事に変える。著者の導きで「ナガサキ」に立ち返った読者は、あの日を記憶に刻む。そして、「ナガサキを最後にしなければならない」という強い思いを抱くはずだ。 (亜紀書房 2200円)