山を追われた狩猟民の男が黒い牛に出会い…

公開日: 更新日:

「黒の牛」

 民俗学者の柳田國男は、山の奥深いところには「無数の山神山人の伝説あるべし」と言った。まさしくそういう映画が現在公開中の「黒の牛」である。

 路傍の地蔵のような風采の男がひとり。どうやら世のうつろいで山を追われた狩りの民らしい。それが荒れた棚田を相手に田を起こし、牛に犂を引かせて泥にまみれる。その姿をモノクロームの映像が見守る。

 カラーに慣れた目にモノクロは違和感をそそる小道具になりがちだが、本作のモノクロ映像は時代も場所も抽象化し、一面の霧で人の姿さえ定かでなくなる山の気配を、まるで目を吸い込むがごとき魔性の効果に高めた。そんな画面の中で、例の男も見上げた面構えへと変じてゆく。

 男を演じたのは李康生(リー・カンション)。台湾の監督・俳優だが、近ごろのつるんぺりんとしたアジアの若手にはない魁偉な面つきが好もしく、禅僧役の田中泯以上に見ていて飽きない。

 物語の下敷きは禅宗に伝わる「十牛図」だという。牛は仏性の象徴。とすれば牛と田を耕す男は、せちがらい世で道に迷いながら悟りを得ようとする姿ということになるだろうか。

 監督・脚本の蔦哲一朗は妥協を排して35ミリフィルムで撮影をつづける独立畑の映画人だ。コロナ禍と資金難に悩まされて製作期間は8年にわたったようだが、おかげで野性味あふれる「山神山人の伝説」を得たと誇っていい。

 その姿勢はいわゆる「在野」の学者の系譜を思わせる。柳田國男もそのひとりだが、野性味という点では喜田貞吉。明治半ばに帝大国史科を出た折り紙つきの官学者ながら主流に異を唱え、被差別民の研究を貫いた反骨の人である。

賤民とは何か」(筑摩書房 1210円)は正統・異端という凡俗の基準を一蹴する膂力にあふれる。 <生井英考>

◆ヒューマントラストシネマ有楽町ほかで公開中

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    目黒蓮不在のSnow Man、ラウールが"次期エース"へ台頭か「めめラウ」が与え合う影響

  2. 2

    元関取の豊山亮太さん 4年前に土俵去るも、老人ホームの介護士をしながら国家試験目指し猛勉強中

  3. 3

    松尾雄治さん(1)ゴルフ場で意識を失う…「気が付いたら病院のベッドでした」

  4. 4

    東大出身の小林政調会長は日本史を学ぶべき「2600年以上続く男系継承」は歴史なのか神話なのか…皇室典範改正で浮かんだ疑問

  5. 5

    松本人志"めちゃめちゃ癌"の心配される健康管理と伸び悩む「DOWNTOWN+」の今後

  1. 6

    国民も気づき始めた皇室典範改正のおかしさ 「愛子天皇」潰しに抗議する市民デモが国会を取り囲む?

  2. 7

    酒浸り、自殺説も出た…サッカー奥大介さんの“第2の人生”

  3. 8

    永尾柚乃は夏休みも「ヒルナンデス!」レギュラー出演でフル稼働 今や事務所の大看板に

  4. 9

    バナナマン日村が簡単に復帰できそうにない「もう1つの理由」…レギュラー11本抱える人気者のジレンマ

  5. 10

    ラウールが通う“試験ナシ”でも超ハイレベルな早稲田大の人間科学部eスクールとは?