満たされないヒーローの記録 『タイガーマスク』(全14巻) 梶原一騎原作・原案 辻なおき作画
『タイガーマスク』(全14巻) 梶原一騎原作・原案 辻なおき作画
★あらすじ
孤児院で育った青年・伊達直人が、プロレスの世界で生き抜く姿を描いた作品である。伊達は、悪役レスラー養成組織「虎の穴」に所属し、覆面レスラー・タイガーマスクとして各地のリングに立つ。虎の穴では、残酷な試合で金を稼ぎ、その多くを組織に上納することが義務づけられていた。やがて伊達は、自身が育った孤児院「ちびっこハウス」と再会し、子どもたちの生活を支えるために賞金を送るようになる。その行動は虎の穴からの反逆と見なされ、刺客レスラーが次々と送り込まれる。伊達は追われる立場となりながらも、正体を隠したままリングに立ち続け、孤児院を守るために戦う。物語は、プロレス興行の裏側と、覆面の下にある個人の過去や選択を並行して描き、激しい戦いの末、伊達直人の行方へと収束していく。
梶原一騎は稼げなかった作家ではない。この『タイガーマスク』は1968年1月号『ぼくら』に始まり、『週刊ぼくらマガジン』を経て『週刊少年マガジン』と、1971年まで3誌をまたいで連載は続いた。そして『巨人の星』『あしたのジョー』と並んで昭和の少年誌の中心にあった。部数は伸び、単行本は積まれ、実在レスラーの名が紙面に躍った。ジャック・ブリスコ、ドリー・ファンク・ジュニア、ディック・ザ・ブルーザー。リングの実名がそのまま物語に流れ込む。数字だけを見れば、成功である。
だが梶原の内部は満ちていない。彼が欲したのは金ではない。名でもない。「自分はここにいていいのか」という問いへの答えだった。売れているかどうかではない。時代を掴んだかどうかでもない。自分の物語は、ただ消費されているだけではないのか。熱狂が冷えたあと、何が残るのか。その疑念が、彼の底でくすぶり続けていた。
『タイガーマスク』の伊達直人は、その疑念の肉体である。孤児院「ちびっこハウス」出身。虎の穴で殺人訓練を受け、黄色い悪魔と呼ばれる。身長181センチ。体重87キロ。22歳。数字は冷たい。だが内側は揺れる。
金を稼ぐ。虎の穴に上納金を納める。残りを孤児に渡す。やがて上納金分まで差し出す。善行は増える。喝采も増える。それでも安寧を得られない。悪役の技を知る体と、正統派でありたい意思のあいだで裂ける。喉笛へのトウキック。封印。葛藤。
彼が求めているのは称賛ではない。「存在していていい」という無条件の肯定である。
虎の穴は理念の組織だ。孤児に試練を与え、勝者だけを育てる。対して直人は無条件に孤児たちを支援する。ここに露骨なイデオロギー対立がある。梶原一騎の家庭はキリスト教だったという。自己犠牲の愛。その影が、直人の背に落ちたのか。
だが物語は救済を急がない。ドリー・ファンク・ジュニアとの世界戦。追い詰める。だが反則で潰される。再戦を前に、直人は子どもをかばって死ぬ。虎の覆面は川へ沈む。伊達直人の事故死とタイガーマスクの失踪は結びつかない。回収はない。
なぜか。梶原自身が答えを持たなかったからだ。彼は評価された。同時に「過剰」「扇情」と評論家たちから切られた。文学の正統から距離を置かれ、漫画界でも異端視された。それでも少年は熱狂した。プロレス界は沸いた。だが完全には属さない。宙づりの位置。そこに立ち続けた。
だからヒーローは安住しない。努力する。血を流す。ウルトラ・タイガー・ドロップ。フジヤマ・タイガー・ブリーカー。派手な名の奥にあるのは、承認への渇きである。リングは祝福の場であると同時に断頭台だ。罵声と喝采のあいだで、人は試される。
猪木や馬場は理想像ではない。強い。尊敬できる。だがどこか遠い。「すでに認められている側」の人間だ。梶原が最後までなりきれなかった位置。その距離は意図的に保たれる。
梶原一騎の渇仰とは、この構造そのものだ。金はあった。名もあった。それでも「自分は本物か」という確信だけが手に入らなかった。『タイガーマスク』が単なるプロレス漫画に終わらないのは、その未充足をごまかさなかったからである。孤児の物語でも格闘の物語でもない。承認を求める人間が最後まで満たされないという事実を、冷酷に引き受けた記録だ。リングに立つ伊達直人は孤独だった。それはもうひとりの梶原一騎だったのだ。
(講談社 kindle版 594円~)


















