「バタイユとアナーキズム」酒井健著 “支配的な原理”を否定したバタイユの思想をたどる
「バタイユとアナーキズム」酒井健著
1960年代から70年代初めにかけて、ジョルジュ・バタイユという名前は、一種独特な響きをもって日本の思想界に影響を与えていた。「エロティシズム」「エロスの涙」「青空」などの著作が翻訳されたほか、著作集全15巻が刊行されるなど、多くの読者を獲得した。
本書でも触れられているように、三島由紀夫もそのひとりで、最晩年の三島は「ヨーロッパの思想家の中でいちばん親近感を持っている人がバタイユ」だと言っていた。とはいえ、その思想は難解で複雑、多くの人にとって一知半解という感を免れなかった。そのバタイユの全貌を新たな視点から解き明かしたのが著者の「バタイユ入門」(1996年、ちくま新書)だ。
本書は、「支配の原理になって役立つものを否定する、否定すらも善きこととして信奉する前に否定する」という飽くなきアナーキーな情動に焦点を当て、バタイユの思想をたどっていく。アナーキズムは通常「無政府主義」と訳されるが、本書では、「アナーキー」を「無原理」、支配的な原理の否定と捉えている。著者によれば、この原理を否定するアナーキーな情念は、バタイユのみならず、フランスの現代思想にも大きく脈打っている。
そこで本書では、バタイユの履歴・思考の変遷に沿いながら、ニーチェ、シェストフ、三島由紀夫、ボードレール、カフカ、バクーニンといった思想家・文学者のアナーキーな情念の内層にも分け入っていく。例えば、カフカ。バタイユは、主義主張から距離を取るカフカの曖昧さと大人の社会で子どもとして生きる無益さこそが、バタイユの考える「至高性」であり、生と死、喜悦と不安が混然一体となったアナーキーな地平へカフカを帰還させようとした。
東西冷戦終結後、イデオロギーが終焉したかのように思えたが、またぞろ押しつけの「主義」が横行し始めている現在。バタイユのアナーキーさは、再考すべきだろう。〈狸〉
(法政大学出版局 4180円)



















