丸山圭子さんが語る 50年たっても歌われ続ける「どうぞこのまま」ヒット秘話
丸山圭子さん(シンガー・ソングライター/71歳)
「どうぞこのまま」(1976年)のヒットで知られる丸山圭子さん。大学で16年間、教壇に立ち、今もライブ活動を続けているが、嵐のようだった「どうぞこのまま」フィーバーに至るまでを語ってくれた。
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今から思えば、ジェットコースターのような人生を送ってきた気がしています。その最初は何といっても歌を歌うようになったきっかけです。
今はさいたま市になっていますが、私の出身は浦和(市)です。浦和第一女子高等学校、地元で一女といわれている進学校です。当時は1学年だけで12、13クラスもある高校でした。有名だったのは文化祭。県内外から2万人くらいが集まってきて、当時はすごく盛り上がったんです。姉も一女出身で、お茶の水女子大学に入って音楽をやったのですが、私も姉と3歳からピアノを習い、当時はフォークソングの時代だからギターも弾いていました。高2の文化祭では、女友だち3人で「サンデースプリング」というグループをつくって文化祭で歌ったのですが、大勢集まって、学校中がいっぱいになったんです。
それで文化祭が終わり、グループのリーダーがニッポン放送の「VIVA唄の市」というオーディションを受けることになりました。結果は残念ながら不合格でしたが、「VIVA唄の市」から翌年、オーディションを受けないかというハガキが来ました。
■行きたい大学がなくて受けたオーディションが転機。入賞は雪のおかげ?
その頃の私は大学に進学するかどうかというタイミング。両親はともに先生で「大学に行って先生になったら」と言われていたけど、行きたい大学がなくて迷っていました。そんな時のお誘いでした。もっとも、歌といっても趣味に毛が生えた程度です。歌でやっていく考えはまったくありません。それでもせっかくなのでオーディションを受けることにしたんです。
マルティーヌ・クレマンソーの「ただ愛に生きるだけ」という世界歌謡祭で優勝したステキな歌があります。変わったことをやって目立とうと考え、モノマネみたいな感じでフランス語で歌ったテープを送りました。
それが運よく引っかかり、審査をしてらした方から「今はキャロル・キングやジェームス・テイラーがいる時代だから、オリジナル曲を歌うのが最先端。予選に出る時は自分で作った曲を歌った方がいい」とアドバイスされました。
予選まであと10日に迫っていました。寝ても覚めてもという感じで考え、行きついたのが「しまふくろうの森」という曲。しまふくろうは北海道に実在するアイヌの神様の鳥で絶滅危惧種。それを題材にした絵本に感動し、少年をふくろうに見たて、その子が村に降りて来るという幻想的な話を歌にしました。
予選が行われたのは浦和の埼玉会館。その日は忘れもしない大雪。友だちにもたくさん来てもらい、会場はいっぱいになり、入賞することができました。大雪の日に北海道の雪をイメージさせる歌を歌ったことがアピールしたんだと今でも思っています。あれは絶対に雪のおかげです(笑)。