丸山圭子さんが語る 50年たっても歌われ続ける「どうぞこのまま」ヒット秘話
あのゾワゾワした感じが忘れられない
次は全国大会。参加者は半分プロみたいにうまい人ばかり。私はあがり症なので手も足も震えっぱなしです。それでも必死に歌い、結果発表の時は終わったとホッとしながら、ステージの一番後ろにいました。そんな中で私の名前が呼ばれた。入賞です。名前を呼ばれて誰のことという感じ。何かの間違いだろうと思いました。音楽を目指そうとしていたわけでもない普通の女子高生でしたからね。でも、それで人生が変わりました。私にとっての最初の転機です。
入賞してエレックという個性的なレコード会社に所属することになりました。エレックでは「そっと私は」というアルバムを1枚出し、ラジオ関東で杏林製薬提供の10分の短い番組を月~金の帯で担当しました。この番組はおしゃべりしながら、レコーディングし、曲をかける番組で、やっている間にたくさん曲をためることができた。ケメがリーダーだったピピ&コットでは、ケメが抜けてから1年半くらい活動しました。それが19歳の頃。
それから1976年にキングレコードに移り、アルバム「黄昏めもりい」を出します。その中の1曲が「どうぞこのまま」です。この曲は天から降ってきたというか。ポール・マッカートニーも「強いインスピレーションの曲は一瞬でできる」と言っていますが、4、5曲同時に集中して作っている中で、ものすごく短時間にできた曲です。
最初はアルバムとその中の1曲「ひとり寝のララバイ」がリリースされたのですが、10人中10人が「この曲いいね」と言ってくれた「どうぞこのまま」のシングルを3カ月後に出すことになって。それがものすごい売れ行きで。キャンペーンで積み上げておくとアッという間に完売です。
■地下街で歌っていると急ぎ足の人が立ち止まって振り返った
東京駅の地下街のレコード店で歌った時は急いでいる人が足を止めて、こっちを振り返るんです。もうゾワゾワする感じ。そしてアルバムもシングルも目の前でアッという間に売れていく。それまではキャンペーンにどこへ行っても「お願いします」と頭を下げていたのが嘘のような光景が広がっていました。こんなことがあるんだと思いましたね。
あれから50年。今もいろんな方が「どうぞこのまま」をカバーして歌ってくれます。自分でもビックリです。
──78年に作曲家の佐藤準と結婚し、79年に長男を出産、93年に次男を出産後に離婚。長男は音楽家のサトウレイ。この間、子育てで歌手としては10年ほどブランクがあり、95年に卵巣嚢腫(良性)摘出手術を行った。
──その後、ヒューマンミュージックカレッジの講師、09年から16年間、洗足学園音楽大学の客員教授を務め、現在もライブ活動を続けている。
声優でシンガー・ソングライターの仲村宗悟君はカレッジの教え子の一人です。7月には、洗足の教え子でショパン国際ピアノコンクールアジア大会で3位を受賞した穴水佑輔君とライブを行います。「どうぞこのまま」や「ウイスキーが、お好きでしょ」「Close to you」などのカバー曲、オリジナルのブギウギ「嘘つきブギ」も歌います。
(聞き手=峯田淳)
■7月に渋谷で教え子とライブ開催
「丸山圭子LIVE~All for your love~」7月13日19時、会場は渋谷・代官山町の「晴れたら空に豆まいて」で。