脊柱管狭窄症と闘う蝶野正洋さん「手術は最後の手段」と決めていた理由

公開日: 更新日:

蝶野正洋さん(プロレスラー/59歳)=脊柱管狭窄症

 腰椎の3番と4番の間隔が潰れてしまったので、2021年の暮れに骨を削って間隔を空ける内視鏡手術をしました。

「脊柱管狭窄症」は文字通り、背骨の骨と骨の間隔が狭くなることで神経が圧迫され、下半身に痛みやしびれをもたらす病気です。自分の場合は、両脚の鼠径部(脚の付け根)に痛みがあり、特に左脚が重症でした。

 思えば2010年あたりから歩くのがしんどくなって、移動時は100メートルごとに休み休み。ひどい痛みを鍼治療でごまかしながら過ごしていました。2017年から2年半務めたTOKYO MXテレビのメイン司会では、後期は立っていられなくてイスに座りながらやっていたくらいです。

 ドンと悪くなったのは2019年ごろ。自分では気づかなかったのですが、妻に「腰が曲がってるわよ」と言われて、病院に行ったら「側彎症」と診断されました。背骨がねじれて曲がってしまった状態です。でも整形外科でMRIを撮ってみると、「まだ手術が必要なほどの角度ではない」ということで経過観察になりました。

 それから行きつけの鍼治療に加え、カイロプラクティックに通いましたが、3カ月たっても効果はナシ。2020年にはペインクリニックにも行きました。脊柱管狭窄症の根本治療ではなく、痛みの緩和に特化した医療です。「これで良くなる人もいる」と聞いたので期待したんですけど、回を重ねるごとに効果が薄くなり、3~4時間で痛みがぶり返してくるので、いよいよ手術しか選択肢がなくなりました。

 以前から「手術は最後の手段」と決めていました。なぜなら(アントニオ)猪木さんしかり、天龍(源一郎)さん、藤波(辰爾)さんしかり、脊椎の手術をした先輩方に成功した話を聞いたことがなかったからです。

 でも、痛みは日に日に増すばかりで、2021年の初めから杖を突かないと歩けなくなりました。空港では車イスを借りて移動するようになり、その年の春には寝ていても痛みに苦しみました。強い痛み止めも効かなくて睡眠不足に陥り、それによって情緒不安定になってきたのが手術を決意した理由です。否、決意というよりもすがる思いでした。

 病院を探して、「どうなるか分からなくてもいいから、とにかく何とかしてください」という思いで手術を受けたのがその年の12月です。2時間弱の手術だったと思います。検査の段階では腰椎の3、4番以外にもいくつか悪いところが見つかりましたが、全部やるとプレートを入れたりする大掛かりな手術になるので、まずはメスを使わず内視鏡で一番ネックになっているところだけをやったわけです。

 麻酔から目覚めると、眠れないほどだった鼠径部の痛みがまったくなくなっていたので「すごいな」と思いました。一方で脚がピクリとも動かないことに驚きました。術後すぐにはよくあることのようで、医者は「そのうち動くから大丈夫」と言うのですが、ちょっと不安でした。ただ正直、その不安よりも眠れることの喜びの方が大きかった。ぐっすり眠れることがどれだけ幸せなことかを思い知りました。

■今も左脚には麻痺が残っている

 振り返れば、1990年代に試合で2回、首の脊椎を痛めていたときも常に頭痛がしてしんどい状態でした。当時は痛みで眠れなくても痛み止めや鍼治療などをして試合に出ていました。医者からは2回とも「すぐに手術して、引退すべき」と言われましたが、やはり手術にいい印象がなかったので鍼治療をしたり、岐阜に出向いて、1カ月ほど“ゴッドハンド”の施術を受けてから、試合復帰したんです。潰れた間隔を鍼や施術で離して、そこに筋肉をつけることで安定させ、回復したのです。

 若ければ、正しいリハビリと筋肉強化でそれができたんですけど、今年で自分は60歳。筋肉も回復力も衰えて背骨は縮んでいくばかり……。どこかを治すと別の悪いところが見つかるような感じです(笑)。

 脊柱管狭窄症の術後は2週間ぐらいで退院して、リハビリに励み、今は杖を使ったり使わなかったりする状態ではありますが、自由に動けるようになりました。痛み止めなどの薬もまったく飲んでいません。ただ、今も左脚に麻痺が残っているので、週3回のペースで鍼治療と理学療法士によるリハビリに交互に通っています。

 睡眠や歩行はもちろん、できて当たり前のことができなくなった時期があったので、それが戻ってきたことに今はいちいち感謝しています。

 同じようなケガでも、年齢によって治り方は大きく違います。年寄りになるほど無理をしてはいけない。空港で腰を曲げてつらそうに歩いているお年寄りを見ると、本当に「空港で車イス貸してくれるよ」と言ってあげたくなる(笑)。

 ひとつ痛みを我慢していると、そこが悪化するだけでなく、あちこちに連鎖して大ごとになるから、60歳を目前にして自分も気を付けなければいけないと思うようになりました。脚が悪ければ車イスがあるように、人は不自由があっても状況に合わせて対応する力、知恵や道具を持っている。それらを利用したほうがいいと思うんです。 (聞き手=松永詠美子)

▽蝶野正洋(ちょうの・まさひろ) 1963年、アメリカ生まれ、東京育ち。大学在学中に新日本プロレスに入門し、1984年にプロデビュー。橋本真也、武藤敬司とともに「闘魂三銃士」として人気を博す。海外武者修行を経て94年からヒールに転身し、「黒のカリスマ」の異名でも知られた。2010年に新日本プロレスを退団。テレビ、講演、映画など幅広く活躍している。



■本コラム待望の書籍化!愉快な病人たち(講談社 税込み1540円)好評発売中!

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    コメ増産から2カ月で一転、高市内閣の新農相が減産へ180度方針転換…生産者は大混乱

  2. 2

    沢口靖子「絶対零度」が月9ワースト目前の“戦犯”はフジテレビ? 二匹目のドジョウ狙うも大誤算

  3. 3

    “裸の王様”と化した三谷幸喜…フジテレビが社運を懸けたドラマが大コケ危機

  4. 4

    ソフトバンクは「一番得をした」…佐々木麟太郎の“損失見込み”を上回る好選定

  5. 5

    ヤクルトのドラフトは12球団ワースト…「余裕のなさ」ゆえに冒険せず、好素材を逃した気がする

  1. 6

    小泉“セクシー”防衛相からやっぱり「進次郎構文」が! 殺人兵器輸出が「平和国家の理念と整合」の意味不明

  2. 7

    阪神「次の二軍監督」候補に挙がる2人の大物OB…人選の大前提は“藤川野球”にマッチすること

  3. 8

    菅田将暉「もしがく」不発の元凶はフジテレビの“保守路線”…豪華キャスト&主題歌も昭和感ゼロで逆効果

  4. 9

    元TOKIO国分太一の「人権救済申し入れ」に見る日本テレビの“身勝手対応”

  5. 10

    “気分屋”渋野日向子の本音は「日本でプレーしたい」か…ギャラリーの温かさは日米で雲泥の差