山口瞳さんの国立市の自宅は大橋巨泉ら将棋好きが集った
1963(昭和38)年に「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞した作家の山口瞳は、同年から「週刊新潮」で「男性自身」シリーズの随筆を長期連載し、滋味あふれる筆致は人気を博した。
その山口は、会社員時代から将棋を愛好していた。60年代後半のころ、芹沢博文八段、米長邦雄七段らの棋士たちとの交流が始まると、山口の将棋熱はさらに高まった(棋士の肩書は当時。以下同)。
70年には「小説現代」で「血涙十番勝負」という連載が開始された。
山口が、大山康晴名人、中原誠十段、二上達也八段ら、当代の一流棋士10人に飛車落ちの手合いで挑む企画だった。
山口は棋士との対局を自戦記でつづり、奮闘ぶりや呻吟する様子が読者の共感を呼んだ。また、文中で将棋の面白さと棋士のユニークな素顔を紹介している。
将棋と棋士をこよなく愛した山口は、時には記録係を務めた奨励会員(棋士の卵)のことも書いて温かく励ました。
70年代前半のころ、私こと田丸(四段)は同世代の奨励会員と共同で、「棋友」という同人誌を10号ほど出していた。自戦記、講座、随筆などの文章は稚拙だったが、若者が抱く夢と熱気は充満していたと思う。