ここまで回復したのは奇跡だと言われた…音楽家・建築家の畠中秀幸さん脳出血からの生還
畠中秀幸さん(音楽家・建築家/56歳)=脳出血
演奏会のリハーサルで指揮をしていたら急に音が歪んで、声も出せないまま指揮台から右側へ倒れ落ちたのです。42歳の春でした。
右側の感覚がすべてなくなり、起き上がれません。すると間もなく天井が迫ってきて、体が天井を通過しました。信じてもらうのは難しいでしょうけれど、一面、黄色いお花畑の中にいました。そして手招きするたくさんの人たちの中で、1人だけ「こっちに来るな!」と私を足で蹴ったのが、生後4カ月で亡くなった弟でした。
気が付いたら救急隊の人に肩をたたかれ、すぐに救急搬送されました。倒れて20分でICU(集中治療室)に入ることができ、一命を取り留めたのです。完全に弟に救われたと思っています。
診断名は「左脳内出血」。左脳の中の細い血管が突然破れて出血したことで右半身がすべて麻痺し、失語の症状もありました。搬送時の血圧は上が240(㎜Hg)超、下が180という高値でした。
あれから14年、麻痺は今どうかと言いますと、右手の握力は7キロと弱く、動きはとても緩慢です。なので、筆記も食事も左手でできるようにしました。右足は調子が良ければ杖なしで歩けるところまで回復しましたが、その日によって違います。
移動は麻痺があっても運転できる特殊な車です。他人の手を煩わせることなく移動できることはありがたいと思っています。
顔も右側が麻痺しているので、見た目に左右差が出ないよう努力しています。目も頬も喉の筋肉も同様です。食べ物は左側で噛んで、左側に流し込むことを意識しています。左手を使って食べるので右側に入りやすいのですが、右側でのみ込むと誤嚥を起こしやすいのです。
唇も右半分麻痺し、右耳は聞こえにくく、姿勢をまっすぐキープするのも大変で、じつは右肺も半分ぐらいは使えません。フルート奏者にとっては都合の悪いことばかりです。正直、もう吹けないだろうと思っていました。
しかし、搬送されて3日目にお見舞いに来てくれた友人の現代美術家・端聡さんがこう言ったのです。「健常者と障害者の2つの感覚を手に入れることができたのだからラッキーだよ」と。本気でうらやましそうな顔をして、「片方の手があれば建築家として図面も引けるし、音楽もできる」と、私を暗示にかけてくれました。そして「リハビリは早く始めた方がいい」とハッパをかけてくれたのです。
まんまとそれに乗っかって、すぐにリハビリを始めたのがここまで回復できた要因です。医師には、私の出血量でここまで回復したのは奇跡だと言われました。脳出血のリハビリは「初速度」が大事なのだそうです。普通は落ち込んで将来を案じている間に麻痺が進んでしまうところを、私は倒れてから3日目で人の何倍もリハビリをやり出したのです。本当に死ぬ気でがんばりました。
5月8日に救急搬送されて、1週間でベッドから降り、2週間で歩行器で歩き始めました。1カ月後に急性期の病院からリハビリ病院に転院となり、8月には自力で歩くまでになりました。