<75>立ち消えになった勝新太郎と宮沢りえの共演映画企画
ふんどしカレンダーにヘアヌード写真集――10代の頃の宮沢りえは、清純派アイドルの枠にはまらない型破りな作品を世に送り出し、注目されてきた。勝新太郎も、そんな彼女の魅力にとりつかれ、熱い視線を送った一人だ。
「わがパンツの中の真実」と題した「文芸春秋」(1992年6月号)のインタビュー記事でも、映画「座頭市」を死ぬまで撮り続けると宣言した上で、最後はりえを起用すると強調。彼女の股間に手を入れた時に敵に襲われて死ぬシーンを想定していると話していた。
また1992年10月に水戸市で開いた復帰コンサートの終了後には、貴花田(当時)との婚約についてコメントを求められ「富士山から湧き出ている清水と、花を育てるような奇麗な泉が一緒になった」「ホッとするような明るいニュース」と祝福。勝はりえを「立ち居振る舞いが素晴らしい」と絶賛し、結婚を機に引退する前に映画で初共演する計画も明かしている。
■銀座で同席
牛次郎は、そんな2人と銀座で同席したこともあった。