神田淡路町 いまも「ミルクホール」の暖簾を出す飲食店へ
「ミルクホール」といえば、明治時代に数多く出現した、文字通りミルク(牛乳)を主に飲ませる飲食店のこと。関東大震災以降は喫茶店に取って代わられたが、いまもレトロな雰囲気を演出するために、その名を冠する店は多い。
しかし、こちらは昭和20年のオープン。建物は昭和の初めの築だから文句なしに古い。現在、店を切り盛りする高橋栄治さん(72)のご両親が、近くで営んでいた日本そば屋を空襲で焼け出され、代わりに始めたのだそう。
「本当はそば屋をやりたかったらしいけど、そば粉も何もないから、栄屋という屋号はそのままに、ミルクホールという暖簾を出して、夏はかき氷、冬は雑煮や汁粉、さらには玉丼、ラーメン、チャーハンなど、できるものは何でも出したのが始まりです」
戦後から高度経済成長期にかけて地域住民の憩いの場として賑わった。生まれた時から店の2階に両親ときょうだい合わせて10人で暮らしていた高橋さんは、昭和の風景を懐かしく思い出す。
「神田には映画館がたくさんあってね。大映、松竹、東宝、洋画と7、8軒はあったんじゃないかな。店にポスターを張らせたお礼のタダ券がたくさんあったから、とにかくよく見たよ。『紅孔雀』とか『スーパージャイアンツ』とか『狸御殿シリーズ』とか……」
高度成長期の風景
昭和34年にはいち早くテレビを導入。相撲中継の時間になると店の外にまで見物客があふれた。
「内風呂もなかったから、みな銭湯通い。帰りにうちの前の縁台でかき氷を食べて、体を冷やして帰る人が多かったね。クーラーもなかったから」
冬は前日の残りの大福をダルマストーブで温めて食べるとうまかった。
が、昭和50~60年代になって様相が変わった。コンビニやラーメン専門店ができたことで、店に来る客が少しずつ減っていったのだ。
「かき氷も雑煮もコンビニで売っているでしょ。だから、いまはラーメンとカレーライスだけ。それで手いっぱい」
二十数年前に40代で店を引き継いだ高橋さんの若き日の武勇伝も傾聴に値するが、それはまた今度。独身で、いまも2階に一人暮らしだ。
「ずっと住んでいるからレトロとかそういうのはないけど、たまに旅行から帰ってきて外から見ると“古いなあ”と思うね。ガタついて扉もまともに閉まらないんだから」
ちなみにこの建物、江戸時代から昭和の初めまで神田にあった青果市場の仲卸業者の持ち物。昭和20年からずっと賃貸しており、だから勝手には建て直せないのだ。
(しばたゆう)