「雷電」梶よう子氏

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「雷電」梶よう子氏

 江戸時代に実在した、「雷電為右衛門」という力士の名を知っている人は多いだろう。寛政から文化にかけて活躍し、総取組数285のうち負けがたったの10。勝率9割6分2厘という驚異的な成績である。江戸時代を舞台とした数多くの作品を生み出してきた著者が最新作で題材に選んだのが、この天下無双の最強力士だ。

「江戸時代の相撲は、藩の威信をかけた代理の戦という側面もあったようです。また雷電については、落語の演目にも登場することからいくつかの逸話を知っていました。江戸時代に、剣士でもなく市井の生活でもないスポーツを絡めることには苦労もありましたが、新しい挑戦は描いていて楽しかったですね」

 時は寛政9年。松江藩の江戸留守居役である石積多平太は、幼い頃のある出来事がきっかけで相撲を嫌っていた。ところが何の因果か、藩主・松平治郷が執心している相撲に関わることになり、力士の世話を任されてしまう。

 雲州松江松平家には“相撲藩”という異名があった。相撲は大名にとって武芸のひとつとして好まれており、有望な力士は武士の身分である士分として取り立てられた。これを“抱え”といい、多くの大名家が抱え力士を持っていた。松江藩はとりわけ土俵を沸かせる強豪力士を抱えており、その筆頭が雷電だったのだ。

「雷電の星取表をじっくりと見てみたところ、この無双力士が唯一、2度負けた相手がいました。その力士は、庄内藩お抱えの花頂山です。このしこ名を聞いたことがない人も多いと思いますが、“雷電に2度勝った力士”としては知られています。ふたりの取組を読み解くことで、戦がなくなった時代の藩同士の策略や、雷電にまつわる謎も見えてきました」

 雷電と花頂山の戦歴は3勝2敗1預かり。預かりとは文字通り、勝敗を決めずに“預かり置く”ことだ。江戸時代には、藩のメンツを傷つけないためのこんな結果もあり、看板力士同士が当たらないように取組が操作されることすらあった。

「江戸時代の相撲の役割を知れば、分からないでもありません。しかし、当の力士たちは己を高めるため命を削るような厳しい稽古に打ち込みます。藩の威信と、自身の誇りや意地に力士たちがどう折り合いをつけていたのか、考えると苦しくなりますね」

 相撲を嫌っていた多平太も、やがて雷電と相撲の魅力に取り込まれていく。しかし、藩の名誉を守るという留守居役としての役割との間で板挟みとなり……。

「愚直に、真剣に物事に取り組む姿やそこから醸し出されるパワーは、多くの人の心を動かします。組織でやるべきことと、自分の信念とを両立させることは、現代のビジネスマンにとっても難しいことだと思いますが、本作から何か希望を見つけてもらえればうれしいですね」

 執筆にあたっては、相撲本番の臨場感に力を入れたという著者。鋼の肉体同士がぶつかり合い、人々が熱狂するさまには、江戸時代の相撲小屋にタイムスリップしたような錯覚も覚える。歴史小説ファンはもちろん、相撲ファンの心も熱くすること間違いない。

(KADOKAWA 2310円)

▽梶よう子(かじ・ようこ)東京都生まれ。フリーライターのかたわら小説執筆を開始し、2005年「い草の花」で九州さが大衆文学賞、08年「一朝の夢」で松本清張賞を受賞。16年「ヨイ豊」で直木賞候補となり、同作で歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。23年「広重ぶるう」で新田次郎文学賞受賞。「三年長屋」「赤い風」「京屋の女房」など著書多数。

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