「週刊朝日」が5月末をもって休刊だが…400万部週刊誌に変える方法はある
1922(大正11)年に創刊した“最古”の「週刊朝日」が5月末をもって休刊する。
アメリカンコミックス「ブロンディ」を日米対訳式で掲載した。吉川英治の「新・平家物語」が多くの読者を獲得した。名編集長・扇谷正造の時代、向井潤吉ら人気画家が描く表紙絵を読者プレゼントにして部数を伸ばし、1954年9月には100万部を突破、1958年新年号は150万部に達した。
週刊朝日から2カ月遅れで創刊した毎日新聞のサンデー毎日も100万部。新聞社系週刊誌全盛時代だった。
1956年、そこに殴り込んだのが週刊新潮である。「俗物主義」を編集方針に、色と欲が絡む人間くさいドラマを柱に、権力者たちのカネと下半身スキャンダルを次々に暴いていった。
少し遅れて週刊文春、週刊現代が創刊され、出版社系週刊誌が新聞社系を駆逐していった。
しかし、週刊朝日にはまだ余裕があったようだ。たしかW編集長の時だったと記憶しているが、編集会議を銀座のクラブでやっていると話題になった(もちろん昼間だが)。