もう「恋人と過ごす=勝ち組」はやめない? クリスマスは“特別じゃなくていい”と気づいたわけ
かつては「クリスマス=恋愛の成績表」だった
20代の頃、クリスマスは恋人と過ごすべき特別な一日だった。でもアラフォーになった今はちょっと違う? 大人になって変化した「12月24日」の意味を考えます。
友人の佳奈(41)は、数年前からクリスマスに特別な予定を入れなくなった。
「昔はさ、12月に入った瞬間からソワソワしてたよね。誰と過ごすかで、女としての価値が決まる気がして」
そう笑いながら言うが、その表情はどこか清々しい。20代の頃の佳奈にとって、クリスマスは“恋愛の成績発表”だった。
恋人と過ごせれば勝ち組。予定がなければ、理由を探して自分を責める。
「仕事だから」「友達とだから」そう言い訳しながらも、心のどこかで“ひとりで迎えるクリスマス=負け”という思い込みに縛られていたという。
特別なことはしない
世の中にも、はっきりとした“正解”があった。
恋人とイルミネーション。家族でホームパーティー。ひとりは、どこか“かわいそう”。
でも、アラフォーになった今。佳奈はあっさり言う。
「誰と過ごすかより、どう過ごすかのほうが大事だなって思うようになった」
今年のクリスマスイブも、彼女は普通に仕事をして、帰りにスーパーで好きな総菜を買い、家でゆっくり映画を観て寝る予定だ。
ケーキは買わない。チキンも無理に食べない。SNSも、ほとんど見ない。
「若い頃は、“特別なことをしない自分”が許せなかった。でも今は、何もしない夜も、ちゃんと自分を大切にしてる気がする」
人生を重ねて分かったこと
この感覚、アラサー・アラフォー世代なら、思い当たる人も多いはずだ。
ひとりでケーキを食べる夜も、友達と軽くご飯を食べる夜も、早めに布団に入る夜も、全部「悪くない」と思えるようになる。
それは、諦めたからではない。むしろ、“ちゃんと選べるようになった”からだ。
若い頃は、「恋人がいないと寂しい人」「家族がいないと不完全」そんな価値観を、無意識に刷り込まれてきた。
だから、クリスマスにひとりでいる自分を、必要以上に惨めだと思い込んでいた。
でも、人生を重ねると分かってくる。
誰かと一緒にいても、心が満たされない夜はあるし、ひとりでも、穏やかで幸せな夜は確かに存在する。
「ひとり=不幸」ではない
佳奈は言う。
「もう、“かわいそうなクリスマス”って言葉自体、古くない?」
確かにそうだ。ひとり=不幸、という単純な図式は、とっくに現実に合わなくなっている。
大切なのは、無理に誰かと過ごすことでも、イベント感を演出することでもない。
その夜を、どう過ごしたか。自分をちゃんと労われたか。「今年もよくやったね」と、自分に言えたか。
アラフォー世代のクリスマスは、誰かに見せるためのものじゃなく、比べるためのものでもない。
静かに一年を振り返り、少しだけ自分に優しくなる夜。
それができるようになった私たちは、たぶんもう、“寂しい側”ではない。クリスマスの正解を、自分で決められるようになっただけだ。
「誰かに合わせ続ける疲れ」を知って
誰と過ごすかより、どう過ごすか。その価値観に辿り着いた今のほうが、ずっと自由で、ずっと大人だと思う。
それに、こうして静かな夜を選べるようになった背景には、「誰かに合わせ続ける疲れ」を、ちゃんと知ったからこそという側面もある。
無理に笑ったクリスマス。本当は早く帰りたかったディナー。“幸せそうに見える自分”を演じるための写真。
そういう夜をいくつも経験してきたから、今はもう、背伸びをしなくていいと分かったのだ。
淡々としたクリスマスでもいいじゃない
特別なことをしない勇気。誰にも説明しなくていい選択。それらは若い頃には持てなかった、大人の特権なのかもしれない。
だから佳奈は、今年もきっと淡々とクリスマスを迎える。
静かで、平凡で、でもちゃんと満たされた夜を。
誰かに祝われなくてもいい。誰かに羨ましがられなくてもいい。
自分で納得できる過ごし方を選べたなら、そのクリスマスは、もう十分“成功”なのだ。
(おがわん/ライター)


















