五木寛之 流されゆく日々

1932年福岡県生まれ。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞。76年「青春の門 筑豊篇」ほかで吉川英治文学賞を受賞。2002年には菊池寛賞、09年NHK放送文化賞、10年毎日出版文化賞特別賞を受賞。本紙連載「流されゆく日々」は16年9月5日に連載10000回を迎え、ギネス記録を更新中。小説以外にも幅広い批評活動を続ける。代表作に「風に吹かれて」「戒厳令の夜」「風の王国」「大河の一滴」「TARIKI」「親鸞」(三部作)など。最新作に「新 青春の門 第九部 漂流篇」などがある。

連載12359回 わが生涯の悔恨 <2>

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(昨日のつづき)
 私は自分の生い立ちを知らない。
 生年月日はわかる。昭和7年9月30日だ。奇しくも故・石原慎太郎氏と、年、月、日まで同じである。
 しかし、わかっているのはそれだけで、実際に福岡県のどこで生まれたのかは、勝手に想像するだけだった。両親の実家は、共に筑後地方の山村である。共に師範学校を出て、故郷の近くの小学校につとめ、結婚して私が生まれた。たぶん、そんなところだろうと勝手に想像していたのである。
 敗戦後の混乱のなかで母親が亡くなったのは、私が中学1年のときだった。
 それまで私は両親から若い頃の話を聞いたことがなかった。
「生後まもなく外地へ渡り──」と、これまでずっと書いてきたが、いつ、何歳のとき、内地を離れたかは全く知らなかった。当時、幼児だったはずの私の記憶には全く残っていないのである。
 周囲に親戚、知人でもいれば、たぶん昔ばなしで両親の若い頃の話も聞けたことだろう。母も主婦であれば、私相手に昔ばなしなどもしてくれたはず。
 私たち一家が、京城から平壌へ移転したあと、父は平壌師範学校に奉職、母は山手小学校に勤務した。
 敗戦後、まもなく母は亡くなり、父は一時、アル中になった。そんなわけで、私は自分の出生前後のことを何も知らない。
 後年、一枚の写真が郷里の読者から送られてきた。その写真には、白いスカートをはき、テニスのラケットを持った若い頃の母の姿が写っていた。私が高校生の頃、東宝映画でみた『青い山脈』のワンシーンのような写真だった。
 撮影の日付けがないので、はっきりしないが、たぶん昭和、たぶん大正末期か昭和初期の頃の写真だろう。
 福岡の女子師範学校をでて、最初に奉職した小学校教師時代の母は、その勤務先で、若い男性教師と出会い、結婚し、私が生まれた。そして新天地を求めて玄界灘をこえたのだ。
 人は何歳ぐらいになると、自分の過去を語ろうという気がおきるのだろう。
 私は30代後半にさしかかった時、『風に吹かれて』というタイトルで、ある時代をふり返る文章を書いた。たぶん本人の中には、30代で一種の終末観があったような気がする。 (この項つづく)
 ──協力・文芸企画

【連載】五木寛之 流されゆく日々

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